レオポルト2世 (神聖ローマ皇帝)

レオポルト2世は、啓蒙改革で知られる兄ヨーゼフ2世と、反動的な息子フランツ2世の間に立つ神聖ローマ皇帝。

トスカーナ大公時代には市民の声を重視した改革で成果を上げ、皇帝としてもその姿勢を貫こうとしたが、わずか2年で亡くなった。実現しきれなかった彼の改革案は、のちの時代に大きな影響を残した。

基本情報

主な称号 神聖ローマ皇帝
オーストリア大公
ボヘミア王
ハンガリー王
トスカーナ大公
クロアチア国王
スラヴォニア国王
ガリツィア・ロドメリア国王
出生 1747年5月5日(ウィーン)
死去 1792年3月1日(ウィーン)
享年 44
治世 1790年〜1792年(神聖ローマ皇帝)
伴侶 マリア・ルイサ(スペイン王女)
伴侶 イサベル・デ・パルマ(早世)
子女 マリア・テレジア
フランツ2世 (後継者)
フェルディナント3世
マリア・アンナ
カール・ルートヴィヒ・ヨーハン
レオポルト
アルブレヒト
マクシミリアン
ヨーゼフ・アントン
マリア・クレメンティーネ
アントン・ヴィクター
マリア・アマーリア
ヨーハン
ライナー・ヨーゼフ
ルートヴィヒ・ヨーゼフ
ルードルフ・ヨーハン・ヨーゼフ・ライナー
父親 フランツ1世(神聖ローマ皇帝)
母親
マリア・テレジア(ハプスブルク家女当主)
前任者 ヨーゼフ2世 (兄)
後継者 フランツ2世

人物の背景

フランツ1世の子女たち (ヨーゼフ2世、レオポルト2世の家系図) (家系図)

レオポルト2世は、ヨーゼフ2世の弟として生まれた。

トスカーナ大公としては、農民を助ける政策や、都市の人々の声を反映する新しい議会制度を考え、実行に移した。この議会制度は身分に関係なく市民の意見を取り入れる仕組みで、アメリカの憲法に似ているとも言われた。

皇帝に即位してからも、そうした市民参加を重視する姿勢を続け、各地で民主派や市民を支援した。しかし、フランス革命が激しさを増すなか、兄の残した改革の後始末に追われ、自分の理想を実現する時間はなかった。

治世で起きた主要な出来事

  • トスカーナ大公としての改革(1765-1790)

地主の権力を抑え、農民の生活を助け、町の人々の声を政治に反映させようとした。すべての身分の人に開かれた議会制度の案も準備された。

  • 神聖ローマ皇帝としての即位(1790)

兄ヨーゼフ2世の急すぎた改革で混乱した国を立て直そうと、柔らかい姿勢で皇帝に即位。

  • ベルギーでの民主派支援(1790)

ベルギーでは、民主的な勢力を支え、地域の伝統を尊重する姿勢を見せた。

  • 議会制度への期待と支援(1790-1792)

啓蒙的な学者たちから議会や選挙の案が多く寄せられたが、短い治世のため実現には至らなかった。

  • 急死と改革の頓挫(1792)

フランス革命と向き合う中で病死。その後、息子フランツ2世の時代に国は保守的な方向へ転じた。

レオポルト2世は、理想をもとに民衆の声を大切にする政治を目指したが、実現には時間が足りなかった。その構想は、のちの時代に自由や議会の発展を目指す人々に影響を与えていった。

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