レオポルト2世|静かなる啓蒙改革者、その短すぎた治世

1790年、夏。ヨーゼフ2世の死を受け、神聖ローマ帝国の皇帝に即位したのは、弟のレオポルト2世であった。

(兄ヨーゼフ2世とレオポルト)

熱狂的な改革者の後継者として、彼が背負ったものは、ただ王冠の重みだけではない。崩壊寸前の帝国、瓦解する民心、そして革命の嵐吹きすさぶ西方の大地。

彼の胸中には、ただ一つの決意が燃えていたー「兄とは違うやり方で、帝国を変える」。

この記事のポイント
  • 1765年、トスカーナで啓蒙改革を実践し民心を得る
  • 皇帝となり兄の急進改革を軌道修正、帝国の安定を図る
  • 革命の波に備える中、病没し若きフランツ2世が帝位継承

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静かなる啓蒙改革者とは

まずは「啓蒙思想」とはなにかから始めよう。

啓蒙思想とは、神や伝統にすべてを委ねるのではなく、人間の理性や知識によって社会をより良くしようとする考え方である。

18世紀のヨーロッパでは、この思想の影響で「民衆の幸福のために政治を行うべきだ」という新しい君主像が求められるようになった。レオポルト2世は、その時代の流れに寄り添いながらも、自分なりのやり方で帝国を導こうとした人物である。

レオポルト2世は、ヨーゼフ2世と並んで啓蒙改革君主とされるが、その評価は定まらない。

Enlightened Tyrant Illustrated (啓蒙専制君主とは?)

兄が急進的で理想に突き進んだのに対し、弟は慎重に現実を見据えた。だが、彼の治世はわずか2年あまり。

その短さゆえに、彼の改革は「幻の改革」とも呼ばれている。

トスカーナに芽吹いた理想

レオポルトの政治理念は、皇帝になる以前のトスカーナ大公時代に形作られた。

1765年、大公としてフィレンツェを中心としたこの地を治めた彼は、都市の有力市民が農村の土地を支配していた現状を是正し、農民たちに土地を与えて生活の安定を図った。

1780年代には、身分に関係なく市民全体が参加できる国民議会の創設を構想し、その案はアメリカの憲法とも比較される先進的なものだった。都市共和政の伝統を活かしつつ、新しい秩序をつくろうとしたのである。

兄の後始末としての帝国統治

皇帝として即位したレオポルトがまず直面したのは、兄の改革がもたらした混乱だった。

ハンガリーでは貴族の反発が激しく、ベルギーでは独立を宣言する勢力が現れ、さらにフランス革命が広がりを見せていた。

そんな中、レオポルトは極端な手段を避け、民衆と貴族の両方から信頼を得るために動いた。ベルギーでは民主派と連携して再び「大公」に復位し、ハンガリーでは都市住民を支援して貴族をけん制するなど、緻密な調整を続けた。

革命と死、そして後継者との断絶

レオポルト2世の家系図 (息子フランツ2世、妹のマリー・アントワネットとの相関図) (レオポルト2世 家系図と相関図)

「フランス革命」はレオポルトにとって極めて難しい問題だった。妹マリー・アントワネットが王妃であるフランスでは王政が打倒され、その影響が帝国にも及びかねなかった。

それでも彼は冷静に情勢を見極め、戦争よりも改革による立て直しを選んだ。

だがその矢先、1792年春に病に倒れ、突然の死を迎える。帝国の未来は息子「フランツ (以下、フランツ2世)」 に委ねられた。

フランツ2世は父と異なり、改革よりも安定を重視し、やがてオーストリア皇帝として専制体制を固めていく。レオポルトがともした改革の火は、ここでいったん消えることとなった。

幻の改革が残したもの

レオポルトの死後、彼に期待を寄せていた改革派は弾圧され、多くが処刑や追放の憂き目を見た。

だが彼らの思想は消えることなく、のちのオーストリアやハンガリー、ベルギーの政治思想に大きな影響を与えた。

1830年のベルギー独立や、オーストリア憲法構想に見られる「議会」や「連邦」の理念には、レオポルトが育んだ啓蒙思想の痕跡が色濃く残っている。

まとめ

レオポルト2世は、「専制」と「革命」という二つの極のあいだで、もうひとつの道、穏やかで持続可能な啓蒙改革を歩もうとした皇帝だった。

目立たず、急がず、だが確かな意志をもって帝国を導こうとした彼の姿は、時を超えて静かな共感を呼ぶ。

改革とは、大声を上げることではない。現実と向き合い、対話と妥協のなかに希望を探ること。レオポルト2世は、そのことを体現した静かなる改革者だった。

しかし、彼の死はあまりにも早かった。後を継いだのは、わずか24歳の息子フランツ2世。

革命の嵐が吹き荒れるなか、帝国はレオポルトの穏やかな理想とは異なる方向へと歩み出す。そしてその道の果てに、長く続いた神聖ローマ帝国は、終焉の時を迎えることになる。

さらに詳しく:
📖 フランツ2世 | 帝国の終焉とオーストリア皇帝の誕生
📖 啓蒙専制君主とは?|ハプスブルク家が夢見た“理性の帝国”

参考文献
  • “Leopold II: A Study in Enlightened Absolutism” (Cambridge University Press)
  • 高山博『ハプスブルク家と近代ヨーロッパ』中央公論新社
  • Hermann Pölzlin, “Leopold II. und seine Zeit”
  • 『レオポルト二世の政治思想と都市共和政』ウィーン大学政治史研究所アーカイブ
  • ハプスブルク家を知るための60章 (明石書店)
・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

 

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