帝国の終焉

出来事で読むヨーロッパ史

皇帝ナポレオンとの対立|戴冠の皇帝と神聖ローマ帝国の終焉

この図は、ナポレオンとフランツ2世の権力闘争、そしてナショナリズムの波がいかに神聖ローマ帝国を解体へと導いたかを、時系列で示している。1804年、ノートルダム大聖堂。ローマ教皇ピウス7世の手から、自らの頭上に冠を載せたその瞬間、ナポレオンはすでに旧世界の秩序を打ち砕いていた。皇帝とは唯一にして神聖であるという理念を、片手で払いのけた男。フランツ2世はその異様な光景を、遠くウィーンで震えながら見つめていた――時代の終焉は、静かに、しかし確実に迫っていた。
出来事で読むヨーロッパ史

巨大王朝ハプスブルク家の末裔は今 | 平和な帝国終焉、一族の現在

帝国は滅びても、血筋は絶えていない。この記事では、王朝崩壊後の波乱、追放、名誉回復の道のり、そして現在のハプスブルク家について紹介する。
戦争と包囲戦・講和と条約

ハプスブルク帝国の清算|解体後に残された“見えない戦争

1918年秋、ハプスブルク帝国は瓦解した。だが、その死は静かであったがゆえに、人々は忘れていた。真に過酷だったのは、解体...
出来事で読むヨーロッパ史

第一次世界大戦とハプスブルク帝国の終焉|民族の叫びと帝国の崩壊

チェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィア、ポーランド──次々と帝国内の民族が独立を宣言し、700年続いたハプスブルク帝国は、誰にも看取られることなく静かに崩れはじめていた。そのわずか半月後、戦場では白旗が上がる。1918年11月、第一次世界大戦の終結とともに、ヨーロッパ最後の多民族帝国が、その実体を失った瞬間だった。
皇妃・王族・子供たち

フランツ・フェルディナント|サラエボ事件と「帝国の終焉」への序章

車中にいたのは、ハプスブルク帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公と、その愛妻ゾフィー。1914年6月28日、それは彼らの結婚記念日であり、初めての「国内訪問」の日だった。だがその幸福なひとときは、突如として破られた。銃声二発。未来を託された大公夫妻は、血の中に沈んだ。サラエボ事件、この一発の銃弾が、帝国の瓦解を招いたのである。
皇帝一覧

神聖ローマ帝国の終焉とフランツ2世の新しい玉座

その若者は、帝国の終わりを見据えていた。破滅の予感は、あまりにも静かに、しかし確実に足元を侵食していた。ナポレオンという...