近親婚

出来事で読むヨーロッパ史

ハプスブルク顎とは | 王家の血統を守った代償と悲劇

代々の王族たちは遺伝的な特徴を色濃く受け継ぎ、とりわけスペイン・ハプスブルク家では「ハプスブルク顎」と呼ばれる受け口の特徴が顕著になっていった。本記事では、ハプスブルク家の近親婚がなぜ繰り返されたのか、そしてその代償として何が起こったのかを詳しく見ていく。
皇帝一覧

カルロス2世|呪われた王とスペイン・ハプスブルク家の終焉

1661年、マドリードの王宮に産声が上がった。だが、その小さな命に寄せられたのは歓喜ではなく、深い憂慮だった。カルロス2世――生まれながらに「死に瀕していた」と形容される王。ハプスブルク家の「純血主義」によって作られた、奇跡ではなく呪いの結晶だった。
家系図

家系図で見るハプスブルクの婚姻政策 | 外交が変えた帝国の命運

それは誉れか、それとも皮肉か。ハプスブルク家は、婚姻によって王国を手にし、そして婚姻によって苦悩した。一族の運命は、いつも結婚から始まり、終わった。
人物史

血の継承とその代償─ハプスブルク家の近親婚と王朝の行方

王女マルガリータ・テレサとレオポルト1世との結婚は、単なる王家の結びつきにとどまらず、スペインと神聖ローマ帝国の運命を左右するものだった。この婚姻がもたらした影響を紐解いていく。
皇帝一覧

フェリペ4世 | 芸術に溺れ、戦火に翻弄された王の生涯

スペイン・ハプスブルク家の黄昏を見届けた王、それがフェリペ4世である。彼は祖父フェリペ2世のような鉄の意志も、父フェリペ3世のような静かな諦観も持ち合わせていなかった。彼が見たのは、戦争の泥沼と衰退する帝国、そして芸術という美の世界だった。
皇帝一覧

カルロス2世|呪われた王と“帝国の割れ目”

まるで人形のように青白く、虚ろな瞳で玉座に座るその姿は、王の威厳とは程遠かった。 (幼少期のカルロス2世)1661年、ス...