七年戦争と外交革命|母と子が見た戦争の代償

マリア・テレジアにとって、シュレージエンの喪失は耐え難い屈辱だった。

オーストリア継承戦争の講和条約が締結されたその日から、彼女の胸には燃えるような悔しさが残った。兵をもってしても、最愛の領土は取り返せなかった。

The Seven Years' War (illustrated)

ならば次は、言葉と婚姻と、外交の力で奪い返すしかない。そして決断する。かつての敵、フランスと手を結ぶことを。

七年戦争とは?

七年戦争は、ヨーロッパとその植民地を巻き込んだ、18世紀最大級の国際戦争である。

その名のとおり、七年間にわたり続いたこの戦争は、ただの領土紛争にとどまらず、外交・婚姻・海洋覇権をめぐる“世界初のグローバル戦争(1756〜1763年)”と称される。

主戦場となったのは、ヨーロッパ大陸。

女帝の賭けと“初の世界戦争”

ハプスブルク家は、かつてプロイセンに奪われたシュレージエンの奪還を狙い、仇敵フランス、そしてロシアと手を組むという大胆な「外交革命」を実行。

イギリスとプロイセンという旧来の敵同士が結びつき、世界規模の戦争構造が生まれた。

フリードリヒ2世と士官たち、 (フリードリヒ2世と士官たち)

戦火は大西洋を越え、アメリカ大陸のフレンチ・インディアン戦争、カリブ海の海戦、インドでの英仏対決など、多方面へと広がっていった。

まさに、軍事・経済・情報が国境を越えて激突する“近代戦争の原型”ともいえる戦いである。

“剣では奪えぬもの”を取り戻すために

マリア・テレジアにとって、シュレージエンの喪失は耐え難い屈辱だった。

オーストリア継承戦争の講和条約が締結されたその日から、彼女の胸には燃えるような悔しさが残った。兵をもってしても、最愛の領土は取り返せなかった。ならば次は、言葉と婚姻と、外交の力で奪い返すしかない。

そして決断する。かつての敵、フランスと手を結ぶことを。

外交の天才、カウニッツ

その背後にいたのは、外交の天才カウニッツだった。

彼は従来の英墺同盟を捨て、プロイセンを孤立させるためフランス、さらにはロシアと手を結ぶ”外交革命”を進言した。

母は娘を捧げた。フランス国王ルイ16世への嫁入り道具として、マリー・アントワネットがヴェルサイユへと送り出される。

マリア・テレジアの家系図 (16人の子女が生まれた) (家系図と相関図)

女帝の執念が、ヨーロッパの勢力図を塗り替えたのである。

ヨーロッパの戦場|愛と憎しみの再同盟

新たな同盟が成立した1756年。これが七年戦争の幕開けとなる。

プロイセン王フリードリヒ2世は、対墺戦の先制としてザクセンに侵攻。列強は雪崩を打って戦局に巻き込まれ、英仏は植民地争奪戦に突入、ロシアは東からプロイセンに圧力を加えた。

ハプスブルク、フランス、ロシアの”三枚のペチコート同盟”が、剣を振るう時代の到来である。

しかし、この奇妙な同盟の裏で、かつての盟友イギリスはプロイセンを支援し、戦争は予想を超えた泥沼と化していく。ヨーロッパ全土を巻き込んだ大戦争は、ついに“世界戦争”へと飛び火する。

世界の火薬庫|戦火は海を越えた

七年戦争はヨーロッパにとどまらなかった。アメリカ大陸ではフレンチ・インディアン戦争として、アフリカやインド、カリブ海でも英仏の戦火が広がった。

それはまさに、史上初の世界大戦でもあった。

戦局は苛烈を極め、プロイセンはロイテンやツォルンドルフで奇跡的勝利を重ねる。だがフリードリヒ2世の背後には、財力豊かなイギリスの支援があった。

一方、フランスとオーストリアは戦争が長引くにつれて疲弊し、ロシアのツァーリの交代により情勢が急転。プロイセンに和平の兆しが見え始める。

勝者なき決着|シュレージエンの再喪失と女帝の沈黙

(プロセイン王 フリードリヒ2世と地図)

1763年、フベルトゥスブルク条約が結ばれた。

戦争は終結したが、勝者はどこにもいなかった。失われた領土は戻らず、流れた血と費やされた財だけが残された。

マリア・テレジアは、もはや娘の結婚も、同盟の変革も、夢の実現には足りなかったことを知る。

シュレージエンは再びフリードリヒの手に残り、ハプスブルクは名誉と秩序を保ちつつ、真の勝利を得ることは叶わなかった。

だが、それでも帝国は生き残った。戦場で奪えぬなら、内政で立て直す。その覚悟こそが、彼女を単なる敗者にはさせなかった。

まとめ

七年戦争、それは単なる領土争いではなかった。

マリア・テレジアが仕掛けた“剣なき戦争”は、外交・婚姻・情報戦という新たな戦いの時代を告げる鐘だった。そしてこの戦争が後に、フランス革命、ナポレオン戦争へとつながる“序章”であることを、彼女は知らなかった。

戦争に敗れても、歴史に名を残すことはできる。 マリア・テレジアの名は、戦い方を変えた女帝として、今も語り継がれている。

さらに詳しく:
📖 フランツ1世|影に徹した皇帝、女帝を支えた愛と忍耐
📖 マリア・テレジア| 女帝の闘いと帝国再建の物語
📖 国事詔書とは?|一枚の布告が招いた戦争と継承の運命

参考文献
  • デレク・ビーヴァー『マリア・テレジアとその時代』白水社
  • Tim Blanning, Frederick the Great: King of Prussia, Penguin
  • Franz A. J. Szabo, The Seven Years War in Europe: 1756-1763, Routledge
  • 岩﨑周一『ハプスブルク帝国』講談社現代新書
・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

 

 

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