ルイ14世の野望とハプスブルクの抵抗 | ヨーロッパ統一をめぐる攻防

朝霧に包まれたヴェルサイユ宮殿。無数の侍従が沈黙のなか、ひとりの男の起床を待つ。

ルイ14世──全ヨーロッパを震撼させた“太陽王”は、寝室の奥で新たな戦争の地図に目を落としていた。「余の命こそ、帝国である」。

ルイ14世 (ルイ14世の肖像画)

その瞳には、すでに国境という線はなかった。

この記事のポイント
  • 「余は戦争を愛しすぎた」と自称するルイ14世は、ヴェルサイユから欧州征服を狙った
  • スペイン継承戦争で孫フィリップがスペイン王として擁立されるもフランス王との兼任は禁止された
  • 夢破れるが、新たなブルボン朝スペインが誕生することとなった

ルイ14世の野望

フランス絶対王政の頂点に君臨したルイ14世。その政治的野心は、国内にとどまらなかった。彼の狙いは、ウェストファリア体制の破壊と、神聖ローマ帝国の解体、そしてヨーロッパの再編であった。

ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝の座を独占し、「普遍的君主」として振る舞ってきた秩序に対し、ルイは真っ向から挑戦する。

「神の恩寵を受けし真なる王」として、世界の中心にフランスを据えようとしたのだ。

その野望の象徴が、広大な庭園と絢爛豪華なホールを擁するヴェルサイユ宮殿である。あれは単なる王の住まいではない。“世界を統べる舞台”だった。

次々と仕掛けられた戦争

彼の侵略は系統的であった。まず手を出したのが、南ネーデルラント継承戦争(1667–1668)。次に、怒れるオランダと対決したオランダ戦争(1672–1678)。

さらにアウクスブルク同盟戦争(1689–1697)、最後にはスペイン継承戦争(1701–1714)と、ほぼ絶え間なく戦火が続いた。

ルイ14世はあらゆる口実を用いた。姻戚関係、継承権、国境防衛──だが実態は、ヨーロッパ地図の塗り替えを狙う征服戦争に他ならない。

とくにオランダ戦争では、ライン川を越えて神聖ローマ帝国の諸邦を蹂躙 (じゅうりん)。マインツ、トリーア、プファルツなど、ドイツ語圏の都市が炎に包まれ、文化財も灰燼に帰した。

この戦争は「フランスによる野蛮な十字軍」とすら称された。

ハプスブルクの抵抗

一方、神聖ローマ皇帝レオポルト1世は苦境に立たされていた。

帝国は形式上ひとつであっても、内部は分裂し、各諸侯は独立性を保っていた。統一した軍を動かすことは容易でなく、レオポルトは頼れる同盟相手を求めて奔走した。

そこで築かれたのが、イギリス・オランダとの三国同盟(アウクスブルク同盟)。ハプスブルクの皇帝は、普段は宗教上の敵でもあるプロテスタント諸国と手を結ぶしかなかった。

アウクスブルク同盟を図解 (アウクスブルク同盟図解 国旗は現在のもの)

“皇帝”が“異端”に頭を下げる。帝国の危機が、常識を覆した。

レオポルト1世の苦悩

しかもこの時期、神聖ローマ帝国は東方でもオスマン帝国の脅威にさらされており、レオポルトは「二正面作戦 (二つの異なる方向(=戦線)から同時に敵と戦わなければならない状況や軍事戦略)」を強いられることとなった。

二正面作戦の図解 

にもかかわらず、彼は決して帝冠を手放さず、ウィーンを出ず、書簡の山に埋もれながらも粘り強く戦局を維持した。

スペイン継承戦争と“スペインハプスブルク”の終焉

1700年、スペイン・ハプスブルク家の最後の王カルロス2世が嗣子を残さず没すると、ヨーロッパは揺れた。ルイ14世は、自らの孫「フィリップ」を新王に擁立。

Philip V (フェリペ6世) (ルイ14世の孫、フィリップ)

一方、レオポルト1世は皇太子カール(後のカール6世)を推した。かくしてスペイン継承戦争が勃発する。 この戦争は、「誰がスペインを治めるか」ではなく、「ヨーロッパに覇者を許すか否か」の戦いであった。

王位はブルボン位へ

ルイが勝てば、フランスとスペインの二王国が同じ血統により統治される──すなわち“ルイ帝国”が成立する。レオポルトが勝てば、旧来の「帝国秩序」がかろうじて保たれる。

最終的に、1713年のユトレヒト条約と1714年のラシュタット条約により、フィリップの王位は認められたが、「フランス王との兼任」は禁じられた。

こうして、ルイ14世の“ヨーロッパ征服”は未遂に終わり、ハプスブルク家もまた、スペインというもう一つの王冠を失ったのである。

「絶対王政」の代償──ヴェルサイユの裏にあるもの

ルイ14世は戦争と芸術、破壊と創造を同時に進めた。

宮廷ではバレエと祝祭が連日催され、貴族たちは競って王の寵愛を求めた。だがその舞台装置は、すべて国庫と民衆の犠牲のうえに築かれていた。

重税と飢饉、徴兵と敗戦。フランスの国土もまた、戦禍に巻き込まれていたのだ。ヴェルサイユの輝きの裏に、無数の“沈黙した死”があったことを、誰もが見て見ぬふりをしていた。

まとめ

ルイ14世は敗れた。しかし、敗北によってヨーロッパに新たな秩序が芽吹いた。

彼の野望があったからこそ、ハプスブルク家は同盟の力を学び、イギリスは海上国家への道を進み、プロイセンは皇帝から王国へと飛躍した。

「王は死せど、帝国は続く」。

そしてスペインでは、ハプスブルクの血統が絶えたにもかかわらず、ルイの孫フェリペ5世が王位につき、新たなブルボン朝スペインが誕生する

それはルイ14世の“夢の名残”であり、形を変えてヨーロッパ史に影響を及ぼし続ける存在となっていく。野望が歴史の歯車を動かし、その残響が18世紀のヨーロッパを形づくったのである。

さらに詳しく:
📖 スペイン継承戦争とは何か|一人の王の死が引き起こした世界戦争
📖 カルロス2世- 呪われた王とスペイン・ハプスブルク家の終焉
📖 レオポルト1世 | 失われた帝国の威信を取り戻した大君主

参考文献
  • Geoffrey Treasure, Louis XIV: The Sun King (Routledge, 2001)

  • John B. Wolf, Louis XIV (W. W. Norton & Company, 1968)

  • Heinz Duchhardt, Balance of Power und Pentarchie: Internationale Beziehungen 1700–1785

  • ウェストファリア条約一次資料(1648年)

  • 『ヨーロッパ史における帝国と国家』(山川出版社)

  • 学習まんが『ハプスブルク家のライバル②ルイ14世』(集英社)

・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

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