カール6世は、ハプスブルク家の皇帝として神聖ローマ帝国を統治した最後の男子皇帝であり、マリア・テレジアの父でもある。
在位中はスペイン継承戦争や対トルコ戦争を戦い、「国事詔書」で女子による継承を認める制度改革を行った。晩年は海洋進出や貿易拡大を図ったが、男子後継者を得られず死去し、オーストリア継承戦争を招いた。
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基本情報
主な称号 | 神聖ローマ皇帝 |
ハンガリー王 | |
ボヘミア王 | |
オーストリア大公 | |
シチリア国王 | |
ナポリ国王 | |
サルデーニャ国王 | |
アラゴン国王 | |
ルクセンブルク女公 | |
ブルゴーニュ公 | |
ルクセンブルク公 | |
出生 | 1685年10月1日(ウィーン) |
死去 | 1740年10月20日(ウィーン) |
享年 | 55 |
治世 | 1711年〜1740年(神聖ローマ皇帝) |
伴侶 |
エリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク
|
子女 | レオポルト・ヨーハン (夭逝) |
マリア・テレジア | |
マリア・アンナ | |
マリア・アマーリア (夭逝) | |
父親 | レオポルト1世(神聖ローマ皇帝) |
母親 | エレオノーレ・フォン・ノイブルク |
前任者 | ヨーゼフ1世(兄) |
後継者 | マリア・テレジア(実質的な統治者) |
人物の背景
カール6世は若き日、スペイン宮廷で過ごし、その文化や言語を深く愛する「イスパノフィル」として育った。
父レオポルト1世の意思により、滅びゆくスペイン・ハプスブルク家の継承を託され、スペイン継承戦争では「カルロス3世」と名乗って戦地に赴いた。
(カール6世の家系図)
即位後は、王朝国家としてのハプスブルク家を維持・拡大するため、「国事詔書」を公布し、男子なき後の女系継承を法制化。これは娘マリア・テレジアの即位への布石であったが、その死後に各国の承認が空手形であったことが露呈し、大戦争を招くことになる。
治世で起きた主要な出来事
- スペイン継承戦争(1701〜1714年)
フランスのブルボン家とスペイン王位を争う。カールはスペイン王カルロス3世を称したが、最終的にはオーストリアがネーデルラントやイタリアの旧スペイン領を獲得。
- オーストリア・トルコ戦争(1716〜1718年)
プリンツ・オイゲンの指揮により、ベオグラードを含む広大な領土をトルコから獲得。ハプスブルク領土は史上最大に拡大。
- 国事詔書(1713年)
ハプスブルク家の継承制度改革。男子断絶時における女系継承と領土の不可分を規定。
- 海外貿易政策と東インド会社の設立(1719年)
アドリア海のトリエステ港を整備し、海外貿易会社を創設。オーストリア海軍の萌芽となる。
- ポーランド継承戦争・第二次オスマン戦争(1730年代)
ロシアと同盟して参戦するが、連戦連敗。ベオグラード条約でトルコからの獲得地をすべて返還し、帝国は大きく後退。
カール6世の治世は、ハプスブルク帝国の国際的威信を高めた一方で、後継者問題と相次ぐ敗戦によって幕を閉じた。彼の遺産は、娘マリア・テレジアによる激動の統治時代へと受け継がれる。
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