カール6世|マリア・テレジアにすべてを託した父帝

「娘に継がせたい王冠があった。ゆえに、私は全てを賭けた」

男子の後継者なき状況で、ハプスブルク家の領土を娘マリア・テレジアに託すために――

カール6世は、法をつくり、外交で承認を取りつけ、帝国の未来を設計図として描いた。
だが、その図面通りに世界が動くことはなかった。

Portrait of Emperor Karl VI (カール6世)

55歳で最期を迎えた皇帝。(死因は毒キノコだった) その死が引き金となってヨーロッパ全土を巻き込む大戦が始まった。

この記事のポイント
  • 1711年、兄ヨーゼフ1世の死により神聖ローマ皇帝に即位する
  • 国事詔書を公布し、マリア・テレジアへの継承体制を整える
  • 文化隆盛と平穏の中で没し、帝国は継承戦争へ突入する 

📖 カール6世の基本情報はこちら▶

カール6世とは

カール6世は、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の次男として生まれた。

兄ヨーゼフ1世の急死を受けて帝位を継ぐが、歴史に名を残すのは彼の死後に始まった「オーストリア継承戦争」よりも、その火種を未然に防ごうとした「国事詔書(こくじしょうしょ)」の制定と、その承認を勝ち取るための長年の外交努力である。

その目的はただ一つ、娘マリア・テレジアに、ハプスブルク家のすべてを継がせることだった。

Illustrated Imperial Rescript on State Affairs (国事詔書 図解)

ハプスブルク家において男系断絶の懸念があったこと、そして彼自身が男子に恵まれなかったことが、公布の背景にあった。

継承問題への執念

「国事詔書」は単なる王家内の継承法ではなく、領土の不可分性、諸邦の特権承認も盛り込み、君主国の統合と安定を図る“基本法”としての側面を持っていた。

しかしこの布告は、内外において簡単には受け入れられなかった。カールは根気強く、各国の同意を取り付けていく。

スペイン、ロシア、イギリス、神聖ローマ帝国、フランス――対価を払いながら、継承の正統性を一国一国認めさせた。だがその努力も、彼の死後に勃発する「オーストリア継承戦争」により、粉々に砕け散る。

オイゲン公の戦勝と、帝国の最盛期

静的な統治の裏で、帝国は最大領土を実現する。オスマン帝国との戦争において、プリンツ・オイゲンの采配は冴えわたり、バルカンの広大な地域を帝国の版図に加えた。

国家の統合もまた進んだ。ハンガリーとの関係改善により、行政改革と常備軍制度が導入され、カールの没後にハプスブルク支持へ傾く下地が築かれた。

郵便網や道路の整備によって、帝国全体における人と物の流れが活性化し、ウィーンは「帝都」としての威容を備えはじめる。

この時代、宮廷に集う貴族たちの忠誠心は高まっていた。シュヴァルツェンベルク侯が誤射によって命を落としたときに残した言葉、「陛下に命をささげるのは、臣下の義務でございます」は、時代の精神を象徴していた。

カール6世の治世 (図解)(カール6世の時代を図解)

帝国の陰りと、マリア・テレジアの不安

だが、帝国の光にはすでに影が差していた。

ポーランド継承戦争、続く対オスマン戦争での敗北。遠隔地の戦争に国民の関心は薄く、軍も備えを欠いた。長き平時がもたらしたのは、繁栄とともに広がる油断だった。

長女マリア・テレジアは、父帝の“静的な統治”を批判していた。彼女は知っていたのだ――父の遺した帝国が、紙の上の「国事詔書」では守れないことを。

バロック文化の爛熟と、「皇帝様式」の完成

戦争と政治の静けさを背景に、文化は爛熟する。

建築家フィッシャー・フォン・エアラッハやヒルデブラントらの手で、ベルヴェデーレ宮殿やカール教会が生まれた。後者は、王権・カトリック・諸身分の三位一体を象徴するバロック建築の最高傑作である。

音楽・演劇もまた繁栄を極め、ウィーンはこの時期から「音楽の都」の名を帯びはじめた。宗教的情熱に支えられた民衆の文化

――「民衆バロック」もまた、カトリック信仰とともに各地で花開いた。

まとめ

変革を避け、静けさを重んじたカール6世の統治は、帝国に一時の安定をもたらした。彼が残した国事詔書、整えられた行政と通信網、そして文化の爛熟――

それらは確かに後世への遺産となった。だがその“静寂”の裏には、継承をめぐる火種が潜んでいた。紙の上の同意だけでは、帝国は守れない。娘マリア・テレジアは、その事実を骨身にしみて知ることとなる。

父が静かに託した帝国。だが、その運命は嵐の中にあった――若き女帝の、本当の試練がここから始まる。

さらに詳しく:
📖 オーストリア継承戦争とは?|国事詔書が引き裂いたヨーロッパ
📖 マリア・テレジア| 女帝の闘いと帝国再建の物語
📖 国事詔書とは?|一枚の布告が招いた戦争と継承の運命

参考文献
  • Franz Herre, Karl VI: Der letzte Kaiser des Hauses Habsburg, Munich: Piper Verlag, 1990.
  • Derek Beales, Joseph II: In the Shadow of Maria Theresa, 1741-1780, Cambridge University Press, 1987.
  • Jean Bérenger, Histoire de l’empire des Habsbourg, Paris: Fayard, 1990.
  • Brigitte Hamann (Hrsg.), Die Habsburger. Ein biographisches Lexikon, Wien: Ueberreuter, 1988.
・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

コメント