─王冠を戴きながら、牢に繋がれた女王がいた。その名は、フアナ・デ・カスティーリャ。
(夫フィリップの死去)
この悲痛な姿を、歴史は「狂気」と記した。だがその名は、カスティーリャ王女フアナ。王位継承者にして、愛と裏切りに翻弄された女王である。
この記事のポイント
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夫への愛と執着から、「狂女」と呼ばれやがて幽閉されたフアナ
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母からカスティーリャ女王の位を受け継ぐも、王位はけして譲らず
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やがて、彼女の血を継ぐ息子が“日の沈まぬ帝国”を築いた
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内気で聡明だった王女時代
15世紀末、イサベル女王とフェルナンド王の間に生まれたフアナは、内向的で感受性が強い少女だった。
母の命に従い、熱心に宗教書を学び、礼拝に励む日々を送ったが、信仰そのものに深い関心を示すことは少なかった。家庭では静かに本を読み、言葉少なに過ごすことを好んだという。
王族の義務として嫁がされたのは、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の子、フィリップ美公。16歳でフランドルに到着したフアナは、そこで運命の出会いを果たす。
恋と結婚──理想と現実の狭間で
(フィリップとフアナ女王 1505年)
フィリップは金髪碧眼の美貌に加え、愛想よく近づく魅力的な男性だった。フアナはたちまち心を奪われ、結婚生活に大きな期待を寄せた。
だがその希望は裏切られる。フィリップは享楽を愛し、宮廷には常に数多の女性たちがいた。
女官との関係を目撃したフアナが激昂し、相手を糾弾した場面は、あっという間に「狂女フアナ」の象徴として語られるようになる。
彼女の激情は、愛する者に裏切られた妻の反応にすぎなかった。
だが当時の宮廷では、女性の怒りはすぐに「理性を失った」と解釈された。感情の激しさは、精神異常の証とされたのだ。
女王の誇り──王位を手放さなかったフアナ
1504年、母イサベルが死去。フアナは正式にカスティーリャ女王となるが、遺言には「王権を行使できない場合、夫か父が代行する」との条項が付されていた。
この条項を根拠に、夫フィリップはカスティーリャの統治を自らのものにしようと試みる。だがフアナは断固拒否した。
議会でも、王権の公文書でも、彼女は自らが「唯一の正統なる王」であると主張し続けた。王位を手放さなかったその姿勢は、狂気ではなかった。
むしろ、王としての矜持と自負の現れだった。
夫フィリップの死去
1506年、フィリップが突然の病で急逝する。
原因は飲料水による感染とも毒殺とも噂される。喪に沈むフアナは、彼の棺にすがりつづけ、人目もはばからず語りかけ、夜ごと棺を開かせてはその亡骸に触れた。
その異様な姿は、瞬く間に「狂気」の証として語られるようになった。だがここには、もう一つ見逃せぬ背景がある。
もともとスペイン王家では、ポルトガル王室との近親婚が何世代にもわたり繰り返されてきた。純血を尊ぶあまり、同じ血が何度も交錯し、王族のあいだに虚弱な体質や精神的不安定が目立つようになっていたのだ。
“狂女”の刻印を受けて
フアナもまた、その血を引く者だった。
スペインで育てられていた頃にはまだ顕著でなかった徴候が、フィリップとの結婚を機に、徐々にその輪郭を現し始める。
とりわけ1503年ごろから、フアナの情緒には不安定さが増し、そして1506年9月──愛する夫が突如この世を去ったとき、彼女はもはや正気とは言い難い状態にあった。
それでもなお、彼女は10年足らずの結婚生活の中で6人の子をもうけている。精神が乱れつつあっても、母胎は健全であったのか──その皮肉めいた健康さが、かえって哀しみを深くする。
幽閉された女王
父フェルナンドは、政権掌握のためにこの「狂気」を利用し、フアナをトルデシリャスの城に幽閉してしまった。
王権を持ちながらも、誰に会うことも、政務に関与することもなく、彼女はただ“存在するだけ”の女王として、46年を過ごした。
だがその間も、彼女の名は王国の正統性の根拠であり続けた。息子カール(カール5世)は、フアナの血統を継ぎ、ヨーロッパ最大の帝国を築く。
彼女がいたからこそ、王権の連続性は保たれたのである。
まとめ
フアナが本当に狂っていたのか、それとも政治の犠牲者だったのか──。
愛し、嫉妬し、怒り、拒んだ。そんなごく普通の人間的な感情を、女性であるがゆえに「狂気」とされた時代。王権を守るために抗い続けたフアナの姿は、むしろ高貴な魂の証である。
狂っていたのは彼女ではない。彼女の声を封じ、王座を奪い取ったこの世界だったのかもしれない。
さらに詳しく:
📖 カール5世 (カルロス1世)|太陽の沈まぬ帝国、その始祖の孤独
📖 ハプスブルク家の家系図でたどる、650年の王朝史
📖 フェリペ1世 (フィリップ美公)|王国の影に消えた美貌の王
📖 フアナの基本情報はこちら ▶
参考文献
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Fernández Álvarez, Manuel: Juana la Loca: La cautiva de Tordesillas, Espasa Calpe, 2000.
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Gustav Adolf Bergenroth, Calendar of Letters, Dispatches, and State Papers Relating to the Negotiations Between England and Spain, 1862.
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Thomas James Dandelet: The Renaissance of Empire in Early Modern Europe, Cambridge University Press, 2014.
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María del Pilar Queralt del Hierro: Juana la Loca: la cautiva de Tordesillas, Planeta, 2010.
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Jaime Contreras: La religión de los poderosos, Editorial NEREA, 1997.
- ハプスブルク家の女たち 江村洋 (講談社現代新書)
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
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