巨大王朝ハプスブルク家の末裔は今 | 平和な帝国終焉、一族の現在

その名に、いまも歴史が宿る。

かつて神聖ローマ皇帝、オーストリア皇帝、スペイン王を世に送り出し、ヨーロッパを650年わたって動かしてきた王朝、ハプスブルク家。その最後の皇帝が退位してから100年以上が経った今も、その末裔たちは静かに生き続けている。

帝国は滅びても、血筋は絶えていない。この記事では、王朝崩壊後の波乱、追放、名誉回復の道のり、そして現在のハプスブルク家について紹介する。

この記事のポイント
  • 1919年、ハプスブルク家は特権を奪われ、国外追放となる
  • 1961年に王位請求権を放棄、1963年には財産の一部返還が認められる
  • 2025年、現在の家長は、最後の皇太子オットーの長男カール・ハプスブルク氏

最後の皇太子オットー、その運命

(1916年、父帝のハンガリー王としての戴冠式に向かう皇太子)

1916年、カール1世が皇帝に即位し、オットー・フォン・ハプスブルクは6歳で皇太子となった。しかし2年後、帝国は崩壊。王冠は失われ、一家はオーストリアから追放された。

オットーはその後アメリカに亡命し、第二次世界大戦中にはルーズベルトやチャーチルと接触。故国の自由とヨーロッパの平和を求めて奔走した。

戦後は欧州議会議員として活躍し、ヨーロッパ統合に尽力。1989年にはハンガリーとオーストリアの国境を越え、象徴的に「鉄のカーテン」を開けたことでも知られている。

かつて王宮にいた少年は、時代のうねりの中で、「演説台の皇太子」として生き抜いた。1916年、父帝のハンガリー王としての戴冠式に向かう

追放と名乗りの禁止──ハプスブルク法

スイス亡命後のカール1世一家 (スイス亡命後のカール1世一家)

1919年、オーストリア共和国は「ハプスブルク法」を制定。王族に対し、称号の使用、国への立ち入り、財産の保持を禁じた。オットーたちは「名を名乗ることすら許されない」生活を強いられた。

だが1961年、オットーが正式に王位請求を放棄。1963年には、没収された財産の一部返還も認められた。亡命生活に終止符が打たれ、一家はようやく祖国の地を踏むことができた。

彼らは“王族”ではなく、“普通の市民”として帰ってきた。

現在の家長

ハプスブルク家 現在の家系図

現在、ハプスブルク家の家長を務めるのは、カール1世の孫にあたるカール・ハプスブルク=ロートリンゲン氏。

1950年代に生まれた彼は、1996年から欧州議会議員を務めたほか、文化遺産の保護活動にも積極的に関わってきた。2002年には国連非加盟民族機構(UNPO)の議長に就任。

テレビ番組の司会者や国際イベントにも登場し、“親しみやすい家長”としての姿も見せている。

「オーストリア大公」「殿下」と呼ばれることもあるが、現在のオーストリアでは貴族の称号は法律で禁じられている。そのため、公式には「カール・ハプスブルク」と名乗っている。

いまを生きるハプスブルク家

(Karl von Habsburg(写真:Jean-Frédéric、CC0 1.0))

現代のハプスブルク家の人々は、もはや王冠を持たない。だが彼らは、その名と歴史を背負いながら、普通の市民として生きている。

家長カール氏の子どもたちも、企業勤務や文化活動など、それぞれの道を歩んでいる。彼らは王政復古を叫ぶこともなければ、政治に介入することもない。

だが、その家名は今もヨーロッパ各国の人々に尊敬と興味をもって語られている。

まとめ

ハプスブルク家は、今や「支配する家」ではない。

ハプスブルク家の統治は、1273年のルドルフ1世即位に始まり、1918年の帝国崩壊で幕を閉じたことになる。そのおよそ650年の間、彼らはヨーロッパの皇帝・王として君臨し続けた。

だが650年という時間の重み、かつて世界を動かした血筋の名残は、今も静かに息づいている。帝国は過去のものとなっても、その物語は──終わっていない。

さらに詳しく:
📖 ハプスブルク家の家系図でたどる、650年の王朝史
📖 第一次世界大戦とハプスブルク帝国の終焉|民族の叫びと帝国の崩壊
📖 ハプスブルク家ってなに?初心者のためのQ&A10選

参考文献
  • 菊池良生『神聖ローマ帝国 800年の歴史』講談社現代新書
  • 三佐川裕『ドイツ その起源と前史』講談社選書メチエ
  • Gordon Brook-Shepherd, Uncrowned Emperor: The Life and Times of Otto von Habsburg, Continuum, 2004
  • Official Website of Karl von Habsburg: https://www.karlvonhabsburg.at
  • Wikimedia Commons: Otto von Habsburg (写真: Oliver Mark) / Charles of Habsburg-Lorraine (写真: Fgach80)
  • オットー 写真:© Oliver Mark / CC BY-SA 4.0
    出典:oliver-mark.com
    ※2006年、バイエルン州ペッキングにて撮影
  • カール 写真:© Fgach80 / CC BY-SA 4.0
    出典:Wikimedia Commons
    ※2022年3月撮影、カール・ハプスブルク=ロートリンゲン

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