血の継承とその代償─ハプスブルク家の近親婚と王朝の行方

もしフェリペ4世に男子が生まれていなかったら、ハプスブルク家の未来はどう変わっていただろうか。

王女マルガリータ・テレサとレオポルト1世との結婚は、単なる王家の結びつきにとどまらず、スペインと神聖ローマ帝国の運命を左右するものだった。この婚姻がもたらした影響を紐解いていく。

この記事のポイント
  • レオポルト1世は、ハプスブルク家の特徴を色濃く受け継いでいた
  • 彼の妻マルガリータとの婚姻も近親婚であり、血統の歪みをさらに深めた
  • 血統を守るはずの婚姻。スペイン王家ではそれが顕著に表れ、王家の命脈を削ぎ落とす結果となった

血の盟約

レオポルト1世とハプスブルク顎 (オーストリアハプスブルク家、レオポルト1世の肖像画)

レオポルト1世の肖像画を見れば、一目でわかる。突き出した顎、重なり合う歯、閉じづらい口元。これは、神の祝福か、それとも呪いか?

ハプスブルク顎」と呼ばれるこの特徴は、近親婚が生み出した名残だといわれている。

彼自身もまた、その血の宿命に従い、スペイン・ハプスブルク家の王女、マルガリータ・テレサとの婚姻を選んだ。彼女はスペイン王フェリペ4世の娘であり、同時にレオポルト1世の姪でもあった。

レオポルト1世の家系図 ハプスブルク顎の遺伝 (レオポルトが結婚したのは、実妹マリアナの子供マルガリータ)

叔父と姪の結婚、それはハプスブルク家ではもはや日常の出来事に過ぎなかった。領土、血統の純潔を保つため、近親婚が繰り返されたのである。

愛と悲劇の交錯

マルガリータは夫であるレオポルト1世を「おじさま」と呼び、レオポルト1世も彼女を愛称で「グレートル」と呼ぶなど、夫婦の関係は決して冷淡なものではなかった。

二人は音楽や芸術への関心を共有し、宮廷の中でも親しい関係を築いていた。

だが、マルガリータは結婚後、次々と子供を産んだが、近親婚の影響で多くが夭逝した。唯一生き残ったのはマリア・アントニア王女だけであり、彼女もまた虚弱であった。

そして、1673年、マルガリータはわずか21歳の若さで産褥により亡くなった。幼い頃から血の宿命を背負わされ、帝国の未来を託されながらも、彼女自身の命は長くは続かなかったのだ。

レオポルト1世の妃 マルガリータテレサと娘マリア・アントニア (妃マルガリータと娘マリア)

近親婚と血の運命

ハプスブルク家の血が積み重なるごとに、王たちは神の祝福を受けたかのように見えた。だが、その裏には静かに忍び寄る影があった。

スペイン・ハプスブルク家では、11の婚姻のうち9組が「3親等以内の親族間」で行われた。その結果、カルロス2世の近交係数は驚異の0.254に達した。

これは、いとこ同士の結婚を何世代にもわたって繰り返した場合に匹敵する。

遺伝がもたらした悲劇

フェリペ4世の子女 マルガリータ王女、カルロス2世の家系図

そして誕生したのが、マルガリータの弟カルロス2世。彼の身体は虚弱であり、知的発達の遅れ、骨格異常、不妊症……。彼の存在そのものが、ハプスブルク家の近親婚の代償だった。

彼が子を残すことなく1700年に没したことで、スペイン・ハプスブルク家はついに断絶する。

一方、オーストリア・ハプスブルク家はこの運命を逃れた。彼らは戦略的に他の王家と婚姻を結び、遺伝的多様性を確保していたのだ。

もしも─マルガリータがスペイン女王だったなら?

もしフェリペ4世に男子が生まれなかったら、スペインの王座には誰が座っていたのだろうか?

可能性の一つ、それはマルガリータ・テレサ。スペインでは、かつてイサベル1世が女王として君臨した例もあり、女性の即位が絶対に不可能というわけではなかった。

しかし、カルロス2世が生まれたことで、彼が王位を継いだ。そして、その血の脆弱さゆえに、スペイン・ハプスブルク家は滅びた。

皮肉なことに、この王朝の存続を最も揺るがしたのは、まさに彼ら自身が守ろうとした「血統」そのものであった。

まとめ

ハプスブルク家にとって、婚姻は単なる政治的道具ではなかった。それは、血の盟約であり、繁栄の礎であり、時には呪いでもあった。

スペイン・ハプスブルク家は、血統の純潔を守るあまり、ゆっくりと滅びへと向かった。一方で、オーストリア・ハプスブルク家は適応し、王朝を存続させた。

だが、いくら血を守ろうとも、時代の流れには抗えない。彼らの運命を決めたのは、神の意志ではなく、彼ら自身の選択だったのかもしれない。

参考文献 
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