言葉少なき皇帝フリードリヒ3世。
その内には、すべてを耐え抜く不屈の精神が潜んでいた。混乱と分裂の只中にあった神聖ローマ帝国において、彼は剣でも言葉でもなく、沈黙と粘り強さで統一を目指した。
(フリードリヒ3世)
誰もが見誤ったその沈黙が、やがて帝国の礎を築いてゆく。
この記事のポイント
- 1440年、ラディスラウスの後見人としてドイツ王に即位
- ローマで最後の皇帝戴冠をうけ、宗教支配でも主導権を握る
- 息子の結婚によりブルゴーニュ継承戦争を制し、帝国の再統一を果たす
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神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世とは
1415年、インスブルックに生まれたフリードリヒは、当時分裂状態にあったハプスブルク家のレーオポルト系の後継者として育てられた。
当時、神聖ローマ帝国はルクセンブルク家のジギスムントが統治していたが、その死後、娘婿である「アルブレヒト5世」がドイツ王に選出され、ハプスブルク家が王位に返り咲く。
しかしアルブレヒトはすぐに死去し、遺された子ラディスラウスはまだ幼なかった。こうして、1440年、選帝侯たちはフリードリヒ3世をドイツ王に選出する。
ハプスブルク家統一への道
フリードリヒは、ただちにアルブレヒト系の領地を保護下に置き、さらにラディスラウスを擁護する名目でハンガリー王冠の掌握を試みた。
だが、弟アルブレヒト6世の反発やウィーン市民の敵意、傭兵軍団の乱暴など、彼の周囲には常に敵があふれていた。それでもフリードリヒは折れない。
政治的駆け引きよりも粘り強く、領土の統一を待ち続けた。
1463年、弟アルブレヒトの死により、ようやく彼の手にハプスブルク領が統合される。帝国内部の再建は困難を極めたが、彼の統治は着実に進んでいった。
ローマ遠征と皇帝戴冠
当時、神聖ローマ皇帝としての正統な戴冠を受けるには、ローマに赴き、教皇の手で戴冠される必要があった。これは、皇帝の神聖性と帝国統治の正当性を確立するために不可欠な儀式である。
1451年、フリードリヒは決意を固めてローマ遠征を敢行し、翌年、教皇の手によって皇帝に戴冠される。これが、神聖ローマ皇帝がローマで戴冠された最後の例となった。
帰国後、ウィーナー・ノイシュタットに幽閉されるなど波乱もあったが、彼は沈黙のうちに自らの権力を再び築き直してゆく。
1468年には再びローマ遠征を行い、宗教制度の整備に着手。
ウィーンとウィーナー・ノイシュタットの二つの司教座設置を進め、帝国内で宗教的権威を再配置し、「皇帝自らが聖俗の両面で主導権を握る」意図を鮮明にした。
ハンガリーとの対立とブルゴーニュ継承
ハンガリー王マーチャーシュとの対立は、ウィーン占領という苦い結果をもたらす。だがフリードリヒは、1490年のマーチャーシュの死を機に領土を奪還。
さらに、最大の懸案だったブルゴーニュ継承問題では、息子マクシミリアンとマリー・ド・ブルゴーニュの結婚により、「ハプスブルク家にネーデルラントをもたらす」という大戦果を収めた。
この婚姻は、フランス王ルイ11世との戦争を招いたが、1493年のサンリスの和約によって、ついにハプスブルク家がネーデルラントを確保する。
統合と終焉
フリードリヒの治世終盤には、ティロルを含む広大な領土が次第に統合され、1486年にはマクシミリアンがドイツ王に選出される。1493年、リンツにてフリードリヒは逝去。
彼は52年というドイツ王最長在位の記録を打ち立て、息子マクシミリアンにすべてを引き継いだ。
遅々として進まぬ統治と揶揄されながらも、彼の沈黙と粘り強さこそが、帝国の再統一とハプスブルク家の黄金時代を準備したのである。
まとめ
フリードリヒ3世の時代は、決して華々しい戦果に彩られたものではなかった。彼の武器は剣ではなく、忍耐であり、沈黙だった。
どれだけ攻撃されても、声を荒げず、時を待ち続ける。その姿勢がやがて政治的な安定を呼び込み、マクシミリアン1世という後継者へと、確固たる基盤を託すことになった。
静かなる皇帝――だが、その足跡は、帝国の未来を大きく変えたのである。
さらに詳しく:
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参考文献
- Peter Moraw, The Holy Roman Empire 1495–1806, Oxford University Press, 2011.
- Joachim Whaley, Germany and the Holy Roman Empire: Volume I, 1493–1648, Oxford University Press, 2012.
- Heinz Angermeier, Das Alte Reich in der deutschen Geschichte, München, 1991.
- Karl Vocelka, Französische und deutsche Herrscher im Spätmittelalter, Wien, 2003.
- ハプスブルク家の歴史を知るための60章 (明石書店)
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
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