「あの人は、いつも私の影にいて、私を見ていた」
マリア・テレジアの涙ながらの言葉がすべてを物語っていた。王冠を戴いた男が、誰よりも控えめに、誰よりも深く、帝国を支えた。
(フランツ1世)
その名は、フランツ・シュテファン、のちの皇帝フランツ1世。
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影の皇帝とは
フランツ1世は、神聖ローマ皇帝にして、マリア・テレジアの夫。
だが、その名は歴史の主役として語られることは少ない。政治の実権を握ったのは常に妻であり、フランツは“入婿皇帝”と呼ばれながらも、忍耐強く、陰から帝国を支えた。
彼の統治は、名将のように戦場を駆けるでもなければ、政治家のように法を編むでもなかった。彼の政治は、隣に立つ女帝を支えること。
その一途な姿勢が、時に誤解され、時に称賛された。
ハプスブルクの婿へ
フランツは、フランスとドイツの狭間にあるロートリンゲン公国に生まれた。
幼い頃から帝国に仕える素地を養われ、ハプスブルク家との縁談は、父レーオポルト公の長年の策略でもあった。
1736年、カール6世の長女マリア・テレジアとの結婚が実現する。しかしその日から、フランツにとって“試練の人生”が始まる。
ウィーン宮廷では「弱小国の婿」と蔑まれ、軍才の乏しさや、子どもが女ばかりであったことまでが責められた。
統治する皇帝か、支える皇帝か
(フランツ1世 家系図)
1740年、カール6世が崩御。
マリア・テレジアがハプスブルク家を継ぐと、フランツも共同統治者として君主の座に上がった。だが、彼女の存在はあまりに強く、フランツの影はかすんでいく。
1745年、彼は神聖ローマ皇帝フランツ1世として戴冠するも、その地位は象徴的なものにすぎなかった。「皇帝はお飾り、真の統治者は皇后」とさえ言われた。
だが、彼は腐らなかった。
むしろ誠実に、公務と家庭を両立し、十一人の子どもを育て、政務では補佐に徹し、妻の決断を尊重した。宮中にいた誰もが「フランツがいなければ、この帝国は持たなかった」と後に語っている。
「外交革命」とすれ違う信念
皇帝夫妻が唯一、明確に意見を違えたのが「外交革命」である。
マリア・テレジアはプロイセンに対抗するため、かつての敵フランスとの同盟を模索。これは、末娘マリー・アントワネットの輿入れへとつながっていく。
だが、フランツはこの同盟に強く反対した。故郷ロートリンゲンをフランスに奪われた過去を忘れておらず、またプロイセンの諸侯としての地位を守ることが皇帝の務めだと信じていた。
「優しき」譲歩
最終的に、彼はマリア・テレジアに譲歩する。それは、国家のためというより、信頼する妻の決断を信じたからだった。
とはいっても、この「外交革命」の果てに、マリー・アントワネットはフランス王太子のもとへと嫁ぎ、のちにフランス革命の渦に巻き込まれ、断頭台の露と消える。
あの悲劇の女王は、まさにフランツ1世がその生涯をかけて守り育てた末娘だったのである。
静かなる父の姿
(一番左に描かれているのがフランツ1世、家族の肖像画)
フランツは、家庭においても誠実だった。長男ヨーゼフ2世をはじめ、子どもたちへの愛情は深く、彼らの将来を案じてやまなかった。外交官ポデヴィルスは記録にこう残している。
「皇帝は穏やかで、怒ることがない。家族思いで、すべてに誠実だ。だが、皇后との議論になると、必ず譲るのは皇帝である」
この「譲る」という行為こそ、フランツの最大の強さであった。
最期の言葉はなかった
1765年、息子レオポルトの結婚式のため、皇帝夫妻はインスブルックに滞在していた。
オペラ観劇の夜、突然フランツは倒れ、そのまま帰らぬ人となる。マリア・テレジアは夫の死後、深い喪に沈み、生涯黒衣で過ごした。
その祈祷書に記された手記にはこうある。
「私の幸せな結婚は、29年6ヶ月。日曜日に始まり、同じ日曜日に終わった」
まとめ
フランツ1世は、表に出ることを選ばなかった皇帝である。
だがその陰に、帝国を支えた手があった。彼の穏やかなまなざしと忍耐、そして妻への愛こそが、激動の18世紀ハプスブルクを乗り切る礎となった。
影の皇帝は、まぎれもなく帝国の“心”だった。そしてその帝冠は、彼の死後、息子ヨーゼフ2世、ついで孫のレーオポルト2世、さらにフランツ2世へと受け継がれていく。
やがて神聖ローマ帝国は終焉を迎えるが、フランツの静かなる忠誠と支えは、帝国が残した“精神”の一部として今なお生きている。
さらに詳しく:
📖 マリー・アントワネットと子供たち | 王妃と子女が迎えた悲惨な最後
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参考文献
- Jean Berenger, Histoire de l’empire des Habsbourg, Fayard, 1990.
- Derek Beales, Joseph II: In the Shadow of Maria Theresa, Cambridge University Press, 1987.
- Elisabeth Badinter, Marie-Thérèse d’Autriche: Une femme souveraine, Flammarion, 2019.
- Brigitte Hamann (Hrsg.), Die Habsburger. Ein biographisches Lexikon, Wien: Ueberreuter, 1988.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
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