フランツ1世は、ロートリンゲン公家の出身で、マリア・テレジアの夫として「神聖ローマ皇帝」に即位した。温和で控えめな性格ながら、妻を支え、共同統治体制の安定を陰で支えた。
影は薄いが、ハプスブルク家の一時代を築いた名脇役である。
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フランツ1世|影に徹した皇帝、女帝を支えた愛と忍耐を読む ▶
基本情報
主な称号 | 神聖ローマ皇帝 |
ロートリゲン公 | |
トスカーナ大公 | |
出生 |
1708年12月8日(ナンシー、ロートリンゲン公国)
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死去 | 1765年8月18日(インスブルック) |
享年 | 56 |
治世 | 1745年〜1765年(神聖ローマ皇帝) |
伴侶 |
マリア・テレジア(ハプスブルク家当主)
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子女 | マリア・エリーザベト |
マリア・アンナ | |
マリア・カロリーナ | |
ヨーゼフ2世 (後継者) | |
マリア・クリスティーナ | |
マリア・エリーザベト | |
ペーター・レオポルト | |
マリア・ヨハンナ | |
マリア・ヨーゼファ | |
マリア・カロリーナ | |
フェルディナント | |
マリア・アントーニア | |
マクシミリアン・フランツ | |
父親 |
レオポルト・ヨーゼフ(ロートリンゲン公)
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母親 |
エリザベート・シャルロット・ドルレアン
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前任者 | カール7世(神聖ローマ皇帝) |
後継者 | ヨーゼフ2世 |
人物の背景
フランツ1世は、フランスと神聖ローマ帝国に挟まれた小国ロートリンゲンの出身で、外交上の事情によりマリア・テレジアとの結婚と引き換えに故国を割譲した。
ウィーンでは「婿殿」として冷遇され、軍才のなさや女児の続出などから風当たりも強かった。
それでも彼は温和な性格と誠実さで宮廷人や外国使節から評価され、マリア・テレジアの絶対的な支えとなった。政治の実権は妻にあり、共同統治においては陰で帝国を支え続けた。
治世で起きた主要な出来事
- 神聖ローマ皇帝即位(1745年)
妻マリア・テレジアが事実上の統治者である中、形式上の皇帝として戴冠。表舞台には立たなかったが、ハプスブルク体制の安定に寄与した。
- 外交革命(1756年)への反対
フランスとの同盟(外交革命)に慎重で、マリア・テレジアと意見を異にした。かつて故郷を奪った仇敵フランスへの不信を最後まで拭えなかった。
- 家庭人としての姿勢
子供を愛し、誠実な家長として家庭を大切にした。とりわけ長男ヨーゼフ2世との関係は良好で、のちの世代への穏やかな影響を残した。
- 突然の崩御(1765年)
レオポルトの婚礼出席のため滞在中のインスブルックで急逝。マリア・テレジアにとってかけがえのない伴侶との別れであり、その後の政治と精神の大きな転機となった。
フランツ1世は表舞台での華々しさに欠けたかもしれないが、帝国を支える土台として、その誠実さと寛容さをもってハプスブルク家の繁栄に貢献した名君である。
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