フェルディナント3世は、三十年戦争の最中に皇帝として即位し、戦乱で荒廃した神聖ローマ帝国の復興を目指した。
彼は外交と軍事のバランスを取りながら和平交渉を進め、「ヴェストファーレン条約」の締結に尽力したことで知られる。混乱の時代にあって帝国の安定を取り戻し、ハプスブルク家の未来を築く礎を整えた皇帝である。
📖 人物エピソードはこちら!
三十年戦争と帝国再建を担った皇帝の実像を読む ▶
基本情報
称号 | 神聖ローマ皇帝 |
オーストリア大公 | |
ハンガリー王 | |
ボヘミア王 | |
出生 | 1608年7月13日(グラーツ) |
死去 | 1657年4月2日(ウィーン |
享年 | 48 |
治世 | 1637年〜1657年(神聖ローマ皇帝) |
伴侶 | マリア・アンナ・フォン・スペイン |
マリア・レオポルディーネ | |
エレオノーレ・マグダレーナ・ゴンザーガ
|
|
子女 | レオポルト1世(後継者) |
フェルディナント4世 | |
マリア・アンナ | |
フィリップ・アウグスト (夭折) | |
カール・ヨーゼフ (夭折) | |
ヨハン・エルンスト (夭折) | |
マリア・レオポルディーネ | |
マリア・エレオノーレ (夭折) | |
マリア・テレジア | |
父親 | フェルディナント2世 |
母親 | マリア・アンナ・フォン・バイエルン |
前任者 |
フェルディナント2世(神聖ローマ皇帝)
|
後継者 | レオポルト1世 |
人物の背景
フェルディナント3世は、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の長男として生まれた。
幼少期から「カトリックの厳格な教育」を受け、父の治世において軍事や統治の経験を積んだ。彼は音楽や芸術にも造詣が深く、文化面でも帝国の繁栄を後押しした。
1625年にハンガリー王、1627年にボヘミア王となり、父フェルディナント2世と共に帝国を統治した。しかし、彼の即位後も三十年戦争は続いており、帝国内の各地で戦火が絶えなかった。
治世で起きた主要な出来事
- 三十年戦争の終結とヴェストファーレン条約(1648年)
三十年戦争の長期化で帝国は疲弊し、フェルディナント3世は和平を重視。1648年の「ヴェストファーレン条約」で戦争は終結し、領邦の自治が強化され、皇帝の権限は大きく制限された。
(三十年戦争の図解)
- 帝国再建と経済回復政策
戦争によって荒廃した帝国の復興を進めるため、フェルディナント3世は「経済改革」や「軍事再編」に取り組んだ。彼は通貨の安定化を図るとともに、貴族たちとの協調を重視しながら統治を進めた
- 音楽・芸術の保護と奨励
フェルディナント3世は芸術を愛し、宮廷音楽の発展に尽力した。彼自身も作曲を行い、神聖ローマ帝国の文化的発展に貢献した。特にバロック音楽の発展において、彼の支援は大きな影響を与えた
コメント