フェルディナント2世とは? 三十年戦争の開戦と皇帝の決断

沈黙することは、敗北を意味した。剛毅 (ごうき) なる皇帝、フェルディナント2世は、それを知っていた。

Ferdinand II (フェルディナント2世)

彼が背負うのは、信仰と帝国の命運――そして、火薬庫と化したヨーロッパで、ついに引き金を引く者としての宿命だった。

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神に選ばれし少年

1578年、フェルディナントは内オーストリア大公の長子として誕生。

母方にはスペイン・ハプスブルクの血が流れていた。幼少期からイエズス会の教育を受け、信仰と忠誠の価値を叩き込まれた彼は、早くから「神の戦士」としての使命を自覚していた。

ウィーンではなく、グラーツで育ったその環境も、フェルディナントに孤高の精神を育ませた。甘い理想よりも、神の秩序を優先すべし──それが彼の信条だった。

即位と信仰の試練

1617年にボヘミア王、続いてハンガリー王に就任。

フェルディナントはただの政治家ではなかった。神聖ローマ帝国における「信仰の守護者」として、自らの正義を貫く決意を固めていた。

だが1618年、プラハで突如として事件が起こる。反発するプロテスタントの貴族たちが皇帝派の使節を窓から投げ落とす「窓外投擲事件」

──これがヨーロッパ全土を巻き込む戦争の火蓋となった。

窓外放擲事件

神聖ローマ皇帝フェルディナント2世(1619)

翌1619年、皇帝マティアスの死を受け、フェルディナントは神聖ローマ皇帝に即位する。しかし、ボヘミア諸身分は彼を拒絶し、プファルツ選帝侯フリードリヒ5世を新王に擁立。

かつて信仰で導こうとした民たちは、ついに武器を取った。

フェルディナントはスペイン・バイエルン・ポーランドの支援を受け、大軍を動員。1620年、「ビーラー・ホラの戦い」でフリードリヒ軍を粉砕し、ボヘミアを再び掌握する。

反乱貴族の処刑と土地没収、そして強制的な再カトリック化が始まった。

復旧勅令と深まる分裂(1621–1629)

ボヘミアでの成功は長くは続かなかった。

ドイツ各地でプロテスタント諸侯が蜂起。ヴァレンシュタインという型破りの傭兵将軍を用いて北部戦線を制圧するも、帝国の足元は揺らいでいた。

1629年、「復旧勅令」により宗教改革以降の教会財産をカトリックに返還させようとするが、反発は激化。諸侯の離反と混乱は広がり、帝国の統一は遠のいていく。

(復旧勅令の図解)

フェルディナントが掲げたのは神の秩序だった。しかし民衆が望んでいたのは、血の流れない安寧であった。

北方の獅子、来たる(1630–1632)

その混乱を見透かしたかのように、スウェーデン王グスタフ・アドルフが参戦。彼は宗教と軍事の両面で英雄的な姿を見せ、1631年のブライテンフェルトでは皇帝軍を撃破した。

フェルディナントは再びヴァレンシュタインを起用するが、指揮系統は乱れ、1632年のリュッツェンではグスタフを討つも、代償は大きかった。

勝ってなお疲弊する帝国。その姿はまるで老いた獅子のようだった。

勝利と裏切り(1634–1637)

1634年、スペイン軍とともにノルトリンゲンで大勝利を収める。この瞬間、ハプスブルク家は再び輝きを取り戻したかに見えた。

だが、それがフランスを動かした。ルイ13世と宰相リシュリューは、あろうことかプロテスタント側として戦争に介入する。

宮廷は次第に疲弊し、ヴァレンシュタインの影響力を恐れた皇帝側近は、彼を密かに暗殺。フェルディナント2世は、信じうる者を次々と失っていった

1637年、帝国に和平が訪れることなく、フェルディナント2世はこの世を去る。

神による統一という夢は、現実の多様性と対立に敗れた。帝国のために信仰を貫いたその姿は、悲劇的なまでに誠実であった。

まとめ

フェルディナント2世は、神聖ローマ帝国を信仰で束ねようとした最後の皇帝であった。その歩みは、理想と現実のはざまで揺れ動く帝国の縮図にほかならない。

彼の死後、息子フェルディナント3世が皇帝位を継承する。父のような信仰の狂信ではなく、外交と妥協をもって戦争終結へと進む。

1648年、ヴェストファーレン条約が締結され、帝国は領邦の独立と信仰の自由を認める新たな秩序へと転換した。そこにはもはや、フェルディナント2世の夢見た神の秩序は存在しなかった。

さらに詳しく:
📖 ヴェストファーレン条約|ハプスブルク家の衰退とフランスの台頭
📖 三十年戦争とは | ハプスブルク帝国を揺るがせた宿命の戦い
📖 フェルディナント3世 | 戦場を駆けた皇帝が選んだ苦渋の結末

参考文献
  • 岩崎周一『ハプスブルク帝国』(講談社現代新書)

  • Peter H. Wilson, The Thirty Years War: Europe’s Tragedy(Harvard University Press, 2009)

  • Geoffrey Parker, Europe in Crisis 1598–1648(Blackwell, 2001)

  • ハプスブルク家を知るための60章  (川成 洋 (編集, 著))
・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

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