フェリペ4世 | 芸術に溺れ、戦火に翻弄された王の生涯

スペイン・ハプスブルク家の黄昏を見届けた王、それがフェリペ4世である。

Philip IV of Spain (フェリペ4世の肖像画)

彼は祖父フェリペ2世のような鉄の意志も、父フェリペ3世のような静かな諦観も持ち合わせていなかった。彼が見たのは、戦争の泥沼と衰退する帝国、そして芸術という美の世界だった。

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この記事のポイント
  • 1605年、フェリペ3世の子として生まれ、17歳でスペイン王に即位する
  • オリバーレス伯に国政を委ね、芸術を庇護し宮廷文化を栄華させる
  • 度重なる戦争と財政難の末、息子カルロス2世へ帝位を継承する

フェリペ4世とは|栄光の裏に沈む、帝国の斜陽

1605年、フェリペ4世はスペイン王フェリペ3世とマルガリータ・デ・アウストリアの間に生まれた。王子としての宿命を背負うも、その生い立ちは甘美な夢の中にあった。

壮麗なる王宮、優雅な宮廷生活、狩猟や舞踏、詩と音楽。王子は武勇や政治よりも、美と享楽に心を奪われた。

1621年、父フェリペ3世の死により、16歳の若さで王位を継承。

しかし、王座についたその瞬間から、彼は試練に晒された。彼の影には、野心に満ちた一人の男が控えていた。宰相オリバーレス伯ガスパール・デ・グスマンである。

オリバーレス伯との蜜月と破綻

オリバーレス公伯爵ガスパール像、ディエゴ・ベラスケス画、プラド美術館蔵 (オリバーレス伯)

1621年、16歳の若さで即位したフェリペ4世は、政治をオリバーレス伯公爵に一任する。この寵臣は「統一王政」と「軍制改革」を掲げ、重税と兵役の拡大によって中央集権を強行。

だが民の不満は高まり、1640年、ついにカタルーニャが叛乱し、ポルトガルが独立を宣言する。王国の両翼が炎に包まれた時も、フェリペは沈黙を守り、伯爵に国の命運を託し続けた。

1643年、ロクロワの戦いでフランスに大敗を喫したスペイン陸軍は、かつての威信を失い、オリバーレスも失脚。だが王の統治意欲は戻ることなく、宮廷には再び、静けさが広がっていった。

芸術と女たち、そして観照する王

フェリペの心を捉えていたのは、政治ではなく芸術だった。

宮廷画家ディエゴ・ベラスケスとの関係は特別で、彼の描いた『ラス・メニーナス』には、王の深い孤独と、世界への静かな諦念が映し出されている。

フェリペは多くの女性と関係を持ち、数十人の庶子を設けたと言われる。敬虔なカトリック教育を受けた王にしては、あまりに世俗的で享楽的な私生活だった。

だがそれこそが、彼の「逃避」だったのかもしれない。芸術、演劇、恋――現実の瓦解を見ないための、まばゆい幻だった。

ピレネー条約と娘マリー・テレーズ

マリー・テレーズ (Portrait of Maria Theresa of Austria (1638-1683) as Queen of France) (娘、マリー・テレーズ)

1648年、三十年戦争がウェストファリア条約によって終結する。

しかしスペインとフランスはなおも戦い続け、ついに1659年、ピレネー条約により講和が成立。セルダーニャとロセリョンをフランスに割譲し、国境線が確定された。

この条約の“副産物”として、フェリペの娘マリア・テレサがルイ14世と結婚する。これはのちのスペイン継承戦争を引き起こす火種となるが、その時フェリペにそれを見通す眼は残っていなかった。

「最も愛した娘を敵国に嫁がせる」――王の心は引き裂かれるようであった。

晩年と後継者カルロス2世

1644年に最初の王妃イサベルが世を去り、息子バルタサル・カルロス王太子も若くして病死。

世継ぎ問題に揺れる中、フェリペは44歳にして再婚する。

相手は14歳のマリアナ・デ・アウストリア。伯父と姪という近親婚だったが、ようやく1661年、カルロス2世が誕生する。だが王子は、生まれながらにして病弱であった。

フェリペは晩年、修道女の助言を頼りに政務を執るが、すでに国を支える力は残っていなかった。

まとめ

フェリペ4世の生涯は、戦乱に翻弄されながらも、芸術に生きた王の物語であった。

政治では失敗したが、彼が愛した美術は今なお輝きを放っている。ベラスケスの筆が残した肖像画は、彼の愛した世界そのものだったのかもしれない。

そのまなざしは、ベラスケスのキャンバスの中に永遠に封じ込められている。そして彼のあとに王位を継いだのは、衰弱しきった、ひとりの病弱な少年

――カルロス2世であった。

carlos ii child (幼きカルロス2世の肖像画)

この幼き王が継いだのは、王冠ではなく、もはや崩れかけた“帝国の幻影”にすぎなかったのだ。

さらに詳しく:
📖 『ラス・メニーナス』の王女|ハプスブルクの血に縛られた少女の肖像
📖 カルロス2世|呪われた王とスペイン・ハプスブルク家の終焉
📖 ブルボン家とハプスブルク家の対立とは?

参考文献
  • Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
  • Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
  • Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
  • Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
  • Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

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