スペイン黄金時代の終焉。その幕開けを象徴する王、それがフェリペ3世である。
彼は壮絶な戦いを繰り広げた父フェリペ2世とは対照的に、宮廷の奥深くに身を置き、権力を臣下に委ねた王であった。
(フェリペ3世の肖像画)
この記事のポイント
- 1578年、フェリペ2世の子として生まれ、20歳でスペイン王に即位する
- レルマ公爵に国政を委ね、スペインの平和を表面上維持する
- 経済混乱と衰退の中で、フェリペ4世へ帝位を継承する
“敬虔なる王”の誕生
フェリペ3世は1578年、スペイン王フェリペ2世とその4番目の妃アナ・デ・アウストリアの間に生まれた。幼少期の彼は、優雅で温厚、何より敬虔な王子として育てられた。
しかし、その性格は父のような冷酷さや緻密な政治手腕とは無縁だった。
1598年、フェリペ2世が崩御し、20歳の若さで即位したフェリペ3世。しかし、彼には父のような精力的な統治への意志も、卓越した軍事センスもなかった。
代わりに彼は、ある一人の男に統治を委ねる決断をする——それが、”影の王”と呼ばれるレルマ公「フランシスコ・ゴメス・デ・サンドバル」である。
レルマ公の時代、操り人形となった王
(政治を牛耳っていたレルマ公)
レルマ公こそが、実質的にスペイン帝国を支配した人物であった。フェリペ3世は狩猟や宮廷の祭事に興じ、政治の実務はすべてレルマ公に委ねた。
彼は王国の運営を信頼し、いや、むしろ任せきりにしていたのだ。
レルマ公は、宮廷内で影響力を増し、莫大な富を蓄積した。
その一方で、スペインの財政は急速に悪化し、汚職が蔓延した。贅を尽くした宮廷生活の陰で、帝国の経済は衰退の兆しを見せ始めていた。
スペインの”平和”
フェリペ3世の治世は、「スペインの平和」と呼ばれる。しかし、それは単なる戦争の休止で偶然に過ぎなかった。
1604年、イングランドとの和平条約が結ばれた。
無敵艦隊(アルマダ)の敗北を受け、スペインはもはや海上覇権を握ることはできず、エリザベス1世の後継者であるジェームズ1世との間で妥協がなされた。
(アルマダの海戦)
1609年には、ネーデルラント(現在のオランダ)との12年間の休戦条約が締結され、長らく続いた八十年戦争の一時的な停止が実現。しかし、これはスペインの衰退を象徴する出来事でもあった。
戦争を続ける体力を失ったスペインは、オランダの独立を事実上容認する形となったのだ。
血を濃くした婚姻政策
フェリペ3世もまた、父や祖父と同様に、政略結婚を用いてハプスブルク家の勢力を維持しようとした。
彼の娘アナは「フランス王ルイ13世」と結婚し、息子フェリペ4世は神聖ローマ帝国の皇女マリアナ・デ・アウストリアと婚姻した。これにより、スペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家の結びつきはさらに強化された。
だが、この近親婚はやがてハプスブルク家に遺伝的な影響を及ぼし、後の王たちの身体的・精神的な問題を引き起こす要因となる。
フェリペ3世の死とその遺産
1621年、フェリペ3世は42歳で死去した。彼の死後、息子フェリペ4世が即位するも、すでにスペイン帝国は後戻りできない衰退の道を歩み始めていた。
フェリペ3世は、戦争を終わらせ、スペインに短い平和をもたらした王として評価されることもある。しかし、その統治は強い意志によるものではなく、むしろ無関心と怠惰の産物であったと言えるだろう。
彼の時代は「スペインの平和」ではなく、「スペインの沈黙」だったのかもしれない。レルマ公の影に隠れ、帝国の衰退を見守るだけの王。
フェリペ3世は、最後まで”静かなる王”であり続けた。
まとめ
フェリペ3世の時代は、スペイン帝国の栄光の終焉を示す転換点であった。彼の治世の間に、帝国の屋台骨は静かに、しかし確実に崩れ始めたのである。
ただし、近年の研究では、レルマ公爵が単なる利権政治家ではなく、王権の象徴化と官僚機構の強化を通じて、スペイン王権を制度的に整備した存在として再評価されつつある。
実際、彼の時代に確立された宮廷儀礼や統治スタイルは、のちの絶対王政に通じる先駆でもあった。つまりフェリペ3世の無関心は、無能ではなく「権力の演出」だったのかもしれない――。
しかし、事実として、彼が治めたスペインは、沈黙の中でゆっくりと力を失い、次代のフェリペ4世へとその宿命が引き継がれることとなる。
さらに詳しく:
📖 フェリペ4世 | 芸術に溺れ、戦火に翻弄された王の生涯
📖 無敵艦隊の敗北|アルマダ海戦とスペイン帝国のほころび
📖 家系図で見る、ハプスブルクの婚姻政策 | 外交が変えた帝国の命運
参考文献
- Geoffrey Parker, “Global Crisis: War, Climate Change and Catastrophe in the Seventeenth Century,” Yale University Press, 2013.
- J. H. Elliott, “Imperial Spain 1469-1716,” Penguin Books, 2002.
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