狂気と王冠は、しばしば同じ部屋に住まう。だが、その部屋に鍵をかけたのは誰か。
(ドン・カルロスの肖像画)
ドン・カルロス――スペイン王フェリペ2世の嫡子にして、「王にはなれなかった王子」の名は、今もなお人々の記憶に深く刻まれている。
この記事のポイント
- フェリペ2世の息子として生まれた、王太子ドン・カルロス
- 近親婚の影響なのか、精神的不安、体の歪みなどがあり、父フェリペとは対立傾向にあった
- 奇行は悪化し、父の暗殺計画をたて監禁、23歳で獄死することとなった
ドン・カルロス
王太子ドン・カルロスは、カルロスは、フェリペ2世とポルトガル王家出身のマリア・マヌエラとの間に生まれた。両親は従兄妹同士という近親関係であり、その影響は彼の身体に現れた。
彼は幼少期から病弱で、右足と左足の長さが異なり、背中は湾曲し、歩行も困難であったという。その異形の体は、近親婚の弊害を体現するかのようであり、常に周囲の視線を集めていた。
頭部も不釣り合いに大きく、極端に突出した下顎(いわゆるハプスブルク顎)を抱えていたため、口を閉じることすら難しかったという記録も残る。
幼少期に刻まれた「血の運命」
スペイン・ハプスブルク家の血を引く、「将来の国王」として期待された存在であったが、言語にも障害があり、吃音や発音困難を抱えていた。
11歳で罹患したマラリアは神経系に深刻な後遺症を残し、彼の心身に暗い影を落とした。
17歳での転倒事故では石段から落下し、頭部を強打。これによっててんかん発作のような症状が現れ、幻覚・錯乱・暴力衝動が明確に強まった。
夜な夜なうなされ、部屋を荒らし、使用人を呼び出しては突如怒鳴りつけるなど、その狂気は宮廷中を震え上がらせた。
父フェリペ2世との対立
(フェリペ2世の肖像画)
カルロスの激しい性格は、やがて父フェリペ2世との関係を決定的に悪化させた。真面目で信仰深いフェリペ2世に対し、カルロスは勉学を嫌い、放縦な生活を好んだ。
アルカラ・デ・エナーレス大学での学業も振るわず、王位継承者としての資質に父は落胆するばかりだった。さらにカルロスは酒と暴力に溺れ、政務からも逸脱していく。
1567年末、カルロスは神父に「父を殺したい」と告白する。
加えて、叔父であり親友でもあったドン・ファン・デ・アウストリアに、国外逃亡の計画を打ち明けた。だがファンはそれをフェリペ2世に報告し、カルロスは激怒。ファンに襲いかかるも、力で制圧されてしまう。
王子に下された判決
1568年1月、フェリペ2世はカルロスを王命により自宅監禁とした。父子の間で交わされた最後の言葉は、「おまえとの親子の縁を断つ」だったという。
カルロスは王宮内の一室に閉じ込められ、外部との接触を絶たれる。その部屋は窓に鉄格子が嵌められ、食事は穴から差し込まれた。
看守は日誌に「王子は何時間も壁に向かって話し続け、突然笑い出したり泣き崩れたりする」と記している。
監禁生活と飢餓による衰弱死
床に食事を投げつける、ベッドを引き裂くといった行動も日常化し、精神は急速に壊れていった。彼は絶食をはじめ、食事を拒否して衰弱していった。
発熱と錯乱を繰り返しながら、数か月間を彷徨い続けた末に、同年7月、ドン・カルロスは死去する。享年わずか23。
死因は明言されていないが、飢餓、感染症、または精神衰弱による多臓器不全が考えられている。
黒い伝説と、後世のカルロス像
(若き日のドン・カルロス)
カルロスの死は、フェリペ2世への非難と結びつき、のちに「黒い伝説」の一角を成すことになる。「父が息子を殺した」とする説が広まり、スペイン王家に対する不信を世界に植え付けた。
18世紀、ドイツの劇作家シラーは戯曲『ドン・カルロス』で彼を理想主義的な悲劇の若者として描き、さらにはヴェルディのオペラ《ドン・カルロ》へと昇華される。
芸術の中で、カルロスは狂気ではなく「自由を夢見た犠牲者」として再生されたのである。
まとめ
王太子でありながら、王位に就くことなく、監禁の果てに短くも激しい生涯を閉じた彼の人生は、王権の裏にひそむ血の宿命と、政略の冷徹さを鮮烈に浮かび上がらせる。
近親婚の代償として背負った身体と精神の脆さ。父との確執。国家という巨大な装置の中で、彼の存在は調和を乱す「異物」として排除された。
だがその「狂気」は、本当に彼だけのものだったのだろうか。それはむしろ、絶対王政という制度が生み出した「制度の狂気」だったのかもしれない。
皮肉なことに、王位を継いだのはカルロスではなく、フェリペ2世の別の息子――フェリペ3世であった。
さらに詳しく:
📖 フェリペ2世 | 冷酷なる信仰の守護者、その孤独な帝王像
📖 ハプスブルク顎 (下顎前突症) とは | 王家の血統を守った代償と悲劇
📖 フェリペ3世|“無能王”と呼ばれた息子が受け継いだ遺産
参考文献
-
Kamen, Henry. Philip of Spain. Yale University Press, 1997
-
Geoffrey Parker, Imprudent King: A New Life of Philip II, Yale University Press, 2014
-
Ludwig Pfandl, Philipp II: Gemälde eines Lebens und einer Zeit, 1938
-
Friedrich Schiller, Don Carlos, Infant von Spanien, 1787
-
Manuel Fernández Álvarez, Carlos V y su tiempo, 2001
-
安田圭史『悲劇の王太子ドン・カルロス』講談社選書メチエ、2009年
- ハプスブルク家の歴史を知るための60章 川成洋 (編著)
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
コメント