プラハ窓外投擲事件とは | 三十年戦争の発端となった「運命の一投」

1618年5月23日、プラハ城の窓が開かれた。そして、一人、また一人と、男たちの身体が宙を舞う。

Prague Window Throwing Incident (Diagram)

新教徒(プロテスタント)の貴族たちは、皇帝の使者たちを次々と城の窓から投げ落とした。これは単なる暴力ではなかった。

彼らが突き落としたのは、ハプスブルク家の権威そのものだったのだ。

この記事のポイント
  • これは1618年にボヘミア貴族が皇帝の使者を窓から投げ落とした事件
  • カトリック強硬派のフェルディナント2世に反発し、プロテスタント貴族が決起した
  • 三十年戦争の引き金となり、ヨーロッパ全土を巻き込む戦乱へ発展した

宗教対立の火種

この事件を理解するには、16世紀の「アウクスブルクの和議」に遡らなければならない。

1555年、神聖ローマ皇帝フェルディナント1世は、宗教対立の激化を受け、「諸侯が自らの領地の宗教を決めることができる」という和議を結んだ。これにより、一時的にカトリックとプロテスタントの対立は沈静化したかに見えた。

しかし、和議の条文には決定的な問題があった。

  1. 個人の信仰の自由は認められなかった(諸侯が決めた宗教に従わねばならない)
  2. カルヴァン派が認められていなかった(ルター派のみが対象)

この矛盾が、後の宗教対立を再燃させることになる。

The Peace of Augsburg (illustrated) (図解)

ハプスブルク家とボヘミアの対立

1617年、ハプスブルク家のフェルディナント2世がボヘミア王に即位した。

彼は狂信的なカトリックであり、ボヘミアのプロテスタント貴族たちに対し、「カトリックに従わぬ者には罰を与える」と宣言した。

これに反発したプロテスタント貴族たちは、ある決断を下す。それが「プラハ窓外投擲 (ほうてき) 事件」だった。

事件の勃発、窓からの投擲

1618年5月23日、ボヘミアのプロテスタント貴族たちは、プラハ城の旧王宮に集まった。彼らは皇帝フェルディナント2世の代理人であるマルティニツ、スラヴァタ、ファブリティウスら3名を詰問し、最後に言い放った。

神の裁きを受けよ!

次の瞬間、彼らは城の窓から放り投げられた。

通常ならば即死する高さだったが、彼らは奇跡的に生還した。カトリック派は「聖母マリアが救った」と主張し、プロテスタント派は「ただの糞尿の山に落ちただけだ」と嘲笑した。

しかし、どちらの陣営にとっても、この事件は「後戻りできない決定的瞬間」となった。

三十年戦争への道

事件の報を受け、ボヘミアではフェルディナント2世への反乱が勃発。1619年、ボヘミア貴族たちはカトリックのハプスブルク家を排し、新たにフリードリヒ5世を王に迎えた。

この動きに対し、フェルディナント2世は帝国軍を動員し、カトリック側の諸侯と共に反撃を開始。1620年、「白山の戦い」において、ボヘミア軍はカトリック軍に壊滅的敗北を喫し、フリードリヒ5世は亡命した。

これにより、ボヘミアは完全にハプスブルクの支配下に置かれ、プロテスタント勢力は弾圧された。しかし、戦争は終わらなかった。

スウェーデン、フランス、スペイン、オランダなどが次々と介入し、戦火は拡大。こうして、ヨーロッパ全土を巻き込む「三十年戦争」が本格的に幕を開けることになるのだ。

まとめ

1618年5月23日、プラハ城の窓から投げ落とされたのは、単なる官僚ではなかった。

彼らは「ハプスブルク帝国の権威」そのものであり、その落下はヨーロッパ全土を焼き尽くす戦火の狼煙となった。

こうして始まった、「宗教対立の仮面を被った戦争」は、国家と王侯たちの思惑を巻き込みながら泥沼化し、三十年の果てにヴェストファーレン条約をもって幕を閉じる。

だが、焼け跡に残されたものは、疲弊した帝国と、新たに台頭する主権国家の姿だった。プラハの城窓から放たれたこの「一投」は、ヨーロッパの歴史の歯車を、大きく、そして不可逆に回したのである。

さらに詳しく:
📖 ヴェストファーレン条約|ハプスブルク家の衰退とフランスの台頭
📖 三十年戦争とは | ハプスブルク帝国を揺るがせた宿命の戦い
📖 フェルディナント2世|宗教と帝国の狭間で揺れた皇帝

参考文献
  • 『神聖ローマ帝国と三十年戦争』ドイツ近世史研究会
  • 『ハプスブルク帝国の遺産』中央ヨーロッパ史学会
  • 三十年戦争当時の外交文書 (ウィーン国立公文書館所蔵)
  • Peter H. Wilson, The Thirty Years War: Europe’s Tragedy, Harvard University Press, 2009.
  • Parker, The Army of Flanders and the Spanish Road, 1567-1659, Cambridge University Press, 1972.
  • Joachim Whaley, Germany and the Holy Roman Empire: Volume II, 1648-1806, Oxford University Press, 2012.
  • C.V. Wedgwood, The Thirty Years War, New York Review Books Classics, 2005 (original 1938).

・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

コメント