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戦争と包囲戦・講和と条約

ヴェストファーレン条約とは?ハプスブルク家の衰退とフランスの台頭

1648年、ヴェストファーレン条約 (ウエストファリア条約)。この日、ヨーロッパの支配構造が静かに、しかし決定的に書き換えられた。16世紀、婚姻と皇帝位を駆使してヨーロッパを掌握していたハプスブルク家。だが「三十年戦争」を境に、その覇権は揺らぎ始める。戦争の果てに立ち上がったのは、全く異なる性格を持つ新たな主役――フランス王国であった。この記事では、ヨーロッパに君臨したハプスブルク家の衰退と、ルイ13世・ルイ14世が率いたフランスの台頭を、ヴェストファーレン条約前後の出来事を軸に描く。
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ハプスブルク家の家系図でたどる、650年の王朝史

ハプスブルク家の歴史は、ただの年代記ではない。本ページでは、11世紀の起源から20世紀の崩壊まで、ハプスブルク家の家系をひと目で俯瞰できるビジュアル家系図とともに紹介する。
地図

地図で見るハプスブルク家の支配域 | ヨーロッパ650年を動かした領土のすべて

中世から近代にかけて、ヨーロッパ地図の“色”を塗り替え続けた王朝がある。それが、ハプスブルク家である。彼らの領土は一か所...
家系図

家系図で見るハプスブルクの婚姻政策 | 外交が変えた帝国の命運

それは誉れか、それとも皮肉か。ハプスブルク家は、婚姻によって王国を手にし、そして婚姻によって苦悩した。一族の運命は、いつも結婚から始まり、終わった。
出来事で読むヨーロッパ史

神聖ローマ帝国とは何だったのか

ヨーロッパの歴史に登場する「神聖ローマ帝国」。その名はあまりにも壮大で、まるでファンタジーの世界のように響く。だが、この...
戦争と包囲戦・講和と条約

トリアノン条約とは|地図の線が奪ったものと、帰れぬ故郷

1920年6月4日、フランスのヴェルサイユ宮殿のトリアノン宮で調印された一枚の条約が、ハンガリーという国の運命を大きく変...
戦争と包囲戦・講和と条約

サンジェルマン条約とは|オーストリア共和国が背負った「帝国の清算」

1919年9月、第一次世界大戦終結の余波のなか、かつてのハプスブルク帝国の中心地であったオーストリアが、ひとつの条約に署...
出来事の基本解説

金印勅書とは?選挙王制を定めた帝国の憲法

金印勅書とは、神聖ローマ皇帝の選出方法を定めた歴史的勅令。なぜこの法が制定され、どのような影響をもたらしたのか?選帝侯制度の確立からハプスブルク家の皇帝独占へと至る流れを、わかりやすく解説します。
用語解説・基礎知識

第一次ウィーン包囲とは|オスマンの野望とハプスブルクの試練

第一次ウィーン包囲網とは、1529年、オスマン帝国の皇帝スレイマン1世が15万ともいわれる大軍を率い、ハプスブルク家の拠...
用語解説・基礎知識

プラハ窓外投擲事件とは | 三十年戦争の発端となった「運命の一投」

1618年5月23日、プラハ城の窓が開かれた。そして、一人、また一人と、男たちの身体が宙を舞う。新教徒(プロテスタント)...