帝国の未来を懸けた、決して避けられぬ一騎討ち──
それが1278年、マルヒフェルトの戦いであった。「王なき帝国」となった神聖ローマ帝国。その空白を埋めたのは、一人の“貧乏伯爵”にすぎなかった。
(ルドルフ1世とオタカル2世の戦い)
だがその男、ハプスブルク伯ルドルフは、剣を取り、婚姻を結び、同盟を操って、ついには大地にその名を刻む。対するは、中欧最大の覇者として帝国の座を狙ったチェコ王オタカル2世。
栄光はどちらの手に落ちるのか。
帝位をめぐる火種──二人の王の衝突
1273年、大空位時代の終焉を求めた選帝侯たちは、意外な男を帝位に選んだ。スイスの貧しい貴族ハプスブルク伯ルドルフ。
一方、既にオーストリア、シュタイアーマルク、ケルンテン、クラインといった中欧の要衝を支配下におさめ、実力で帝国を牛耳っていたのが、チェコ王オタカル2世である。
ルドルフは「弱く従順」と見込まれて選ばれたにすぎなかった。だが即位後、彼は見事な政治手腕を発揮。諸侯との婚姻政策、教皇との交渉、諸都市との協定を通じて、急速に地盤を固めてゆく。
二人の王の衝突
ルドルフはまず、オタカルが不当な手段で得たとされたオーストリア諸邦の返還を求めた。
オタカルは当然ながらこれを拒否。1276年、ルドルフはオタカルに対して武力制裁を宣言し、第一次の衝突が始まる──が、このときは決着がつかず、両者は和解し、一時的に姻戚関係を築くことで矛を収める。
しかし、野心は消えなかった。二年後、再び火はつけられた。
決戦、マルヒフェルトの野にて
1278年8月26日。場所はウィーン北東部、マルヒフェルト。
ルドルフ側はハンガリー王ラースロー4世の援軍を得ており、数ではやや劣るものの、重騎兵と歩兵をバランスよく揃えた構成であった。
対するオタカル軍は重装騎兵による突撃を主戦術とし、その機動力に自信を持っていた。しかし、ルドルフはその弱点を見抜いていた。戦場を選び、地形を味方につけ、さらに戦力を分割して包囲の体勢を整える。
戦闘が始まると、戦況は一進一退。だが戦いの後半、ルドルフ軍の側面攻撃が決まり、オタカル軍は総崩れとなる。最後は自ら剣を振るって戦場を駆けたオタカル王が、混乱の中で討ち取られた。
伝えられるところによれば、ルドルフもこの戦いで馬を失い、死を覚悟する場面もあったという。だが彼は生き残り、勝利の報を帝国全土に轟かせた。
ハプスブルク家の跳躍、帝国の新秩序
この勝利によって、ルドルフはオーストリアを正式に掌握し、ハプスブルク家は中欧の大領邦君主へと成長する。
帝国における彼の地位は、単なる「選ばれた王」から、「戦いにより帝国を取り戻した王」へと変化した。血統でもなく、神の奇跡でもなく、冷静な政治判断と大胆な軍略によって築かれた帝位。
そしてこの戦い以降、ハプスブルク家は神聖ローマ帝国の中心を占め、以後600年以上にわたって王位を握り続けることになる。
まとめ
マルヒフェルトの戦いは、単なる一国間の戦争ではない。
それは、無皇帝の時代を終わらせ、神聖ローマ帝国の再統一を導いた重要な転換点であった。ハプスブルク伯ルドルフは、貧しい地方貴族から身を起こし、巧みな外交と堅実な軍略で帝位を獲得したのである。
この戦いによって示されたのは、帝位の正統性がもはや血統や教皇の意志のみならず、現実の統治能力と武力によって裏づけられる時代に入ったということだった。
勝利を機にハプスブルク家はオーストリアの支配を確立し、中欧の大領邦君主として確固たる地位を築く。ルドルフの行動は「帝国とは何か」という問いに対し、実務と現実主義で答えた政治的転換であり、その影響は長く帝国史を方向づけることとなった。
さらに詳しく:
📖 ルドルフ1世|弱小伯爵からドイツ王へ、帝国再建に選ばれた男
📖 神聖ローマ帝国とは何だったのか|名ばかりの帝国、矛盾の帝国
📖 大空位時代とは何だったのか|王なき帝国が生んだ混乱と再編の序章
参考文献
- 岩崎周一『ハプスブルク帝国』講談社現代新書
- Peter Moraw, “Von offener Verfassung zu gestalteter Verdichtung”
- O. H. Becker, “Die Königswahl Rudolfs von Habsburg und die Anfänge der Habsburger in Österreich”
- Manfred H. Zerner, “Das Interregnum 1250–1273: Studien zur Geschichte des Reiches”
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
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