アルブレヒト2世は、オーストリア出身の王として初めて神聖ローマ皇帝に即位した人物であり、ボヘミア王・ハンガリー王の地位も同時に手にした。
彼の治世はわずか2年に満たなかったが、後のハプスブルク帝国につながる王位継承の礎を築いた。
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アルブレヒト2世と“支配の中枢化”|オーストリアから帝国へを読む ▶
基本情報
称号 | ドイツ王 |
オーストリア大公 | |
ハンガリー王 | |
ボヘミア王 | |
出生 | 1397年8月10日(ウィーン) |
死去 | 1439年10月27日(ハンガリー遠征中) |
享年 | 42 |
治世 |
1438年〜1439年(神聖ローマ帝国の君主)
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伴侶 | エリーザベト・フォン・ルクセンブルク |
子女 | アンナ |
エリーザベト | |
ラディスラウス・ポストゥムス(オーストリア公)
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父親 | アルブレヒト4世(オーストリア大公) |
母親 | ヨハンナ・フォン・バイエルン |
前任者 | ジギスムント(神聖ローマ皇帝) |
後継者 | フリードリヒ3世(神聖ローマ皇帝) |
人物の背景
アルブレヒト2世は、ウィーンに生まれたハプスブルク家の嫡男で、若くしてオーストリアの統治を任された。当初はローカルな支配者に過ぎなかったが、ジギスムント皇帝の娘エリーザベトと結婚したことで運命が変わる。
1437年に義父ジギスムントが死去すると、彼はハンガリー王・ボヘミア王の位を継ぎ、翌年には神聖ローマ皇帝に選出された。
これにより、アルブレヒトは複数の王冠を一手に束ねる存在となった。これまで選挙で選ばれていた皇帝の位が、はじめて“血筋”でつながる方向へと動き始めたのである。
治世で起きた主要な出来事
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ハンガリー・ボヘミアの王位継承(1437年)
ジギスムントの死後、娘婿であるアルブレヒトがハンガリー王・ボヘミア王の地位を継承。これにより、ハプスブルク家が東欧諸国に強い影響力を持つようになる。 -
神聖ローマ皇帝への即位(1438年)
ドイツ諸侯の支持を得て皇帝に選出。ハプスブルク家として初めて神聖ローマ皇帝となる。以後、皇帝の地位がハプスブルク家に継承されていくきっかけとなる。 -
オスマン帝国との対峙と急死(1439年)
ハンガリーへのオスマン帝国の侵攻に対抗して軍を率いたが、遠征中に病を得て死去。在位期間はわずか1年半だった。
アルブレヒト2世の治世は、戦いや政策よりも「王位がどのように引き継がれたか」が重要な意味を持つ時代であった。短い治世の中で、彼はハプスブルク家が“帝位を持つ家”となる扉を開いたのである。
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