アルブレヒト1世は、ハプスブルク家出身のドイツ王であり、父ルドルフ1世の遺志を継いで帝位獲得を目指した。
波乱の末に王位に就くも、貴族との対立が絶えず、甥による暗殺によってその生涯を閉じた。
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基本情報
主な称号 | ドイツ王 (正式にはローマ王 ) |
オーストリア公 | |
シュタイアーマルク公 | |
出生 | 1255年7月(ハプスブルク城) |
死去 | 1308年5月1日(ヴァインスベルク近郊) |
享年 | 52 |
治世 | 1298年 – 1308年(ドイツ王) |
伴侶 | エリーザベト・フォン・ゴリツィエン |
子女 | アンナ |
アグネス | |
ルドルフ3世 (後継者候補だった) | |
エリーザベト | |
フリードリヒ美王 | |
レオポルト1世 | |
カタリーナ | |
アルブレヒト2世 | |
ハインリヒ | |
マインハルト | |
オットー | |
ユッタ | |
父親 | ルドルフ1世(ドイツ王) |
母親 | ゲルトルート・フォン・ホーエンベルク |
前任者 | アドルフ (ナッサウ家) |
後継者 | ハインリヒ7世(ルクセンブルク家) |
人物の背景
アルブレヒト1世は、ハプスブルク家で初めてドイツ王に選出されたルドルフ1世の長男として生まれた。父の帝位継承計画により、帝国の実権掌握を目指したが、父の死後すぐに即位は叶わず、ドイツ諸侯の選挙によりアドルフ (ナッサウ家) が王に選ばれる。
しかし、アルブレヒトは諦めなかった。
1298年、アドルフとの戦いに勝利し、ついにドイツ王位を手にする。だがその統治は、彼の強権的な政策に反発する諸侯や教会勢力との絶え間ない対立に悩まされるものだった。
さらに、王家の権威を強化しようとした試みは保守的な貴族層の反感を買い、次第に孤立を深めていく。1308年、甥ヨハン・フォン・シュヴァーベン(後に「パルリサイド(父殺し)」と呼ばれる)によって暗殺され、志半ばでその生涯を終えた。
治世で起きた主要な出来事
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アドルフ・フォン・ナッサウの廃位と即位(1298年)
武力衝突の末にアドルフを討ち取り、自らドイツ王に選出された。 -
王権強化政策
地方諸侯の独立性を抑え、王権の集中を図ったが、抵抗に遭い十分な成果は得られなかった。 -
都市や教会との対立
税制・領地問題を巡り都市や教会と対立。王権の限界を露呈する結果となった。
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暗殺(1308年)
王位の継承を巡る一族間の対立から、甥により暗殺される。以後、ハプスブルク家は一時的に帝位から退くこととなる。
(アルブレヒト1世の相関図)
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