「力が正義だと信じた。その力で、帝国は変えられると。」
ドイツ王アルブレヒト1世。父ルドルフ1世譲りの老練な現実主義者にして、王権の強化に執念を燃やした男。
(アルブレヒト1世の肖像画)
しかし、帝国の未来を担うはずのその剛腕は、最後には家族の刃に倒れた。
この記事のポイント
- 1291年、諸侯の意向で王位を拒まれたアルブレヒト1世、王位は別家へと移った
- しかし1298年、ゲルハルムの戦いでアドルフを討ち王に即位
- 内輪揉めが起こり、1308年、甥ヨハンに暗殺され王朝は再び混迷に沈む
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王になれなかった王子
1291年、ドイツ王ルドルフ1世が世を去った。
諸侯たちは、当然その嫡男アルブレヒトが後継者に選ばれるものと見られていた。 だが、現実は違った。諸侯は、アルブレヒトの手腕を恐れていたのである。
「王にしてしまえば、我々の手には負えぬ。」そう判断した彼らは、意図的にハプスブルク家を排除し、ナッサウ家 (弱小だった) のアドルフを新王に据えた。
王座奪還、ゲルハルムの勝利
しかし、この王もまた暴走する。アドルフは、家領拡大に執着し、諸侯の不信を買う。
こうして1298年、諸侯はアドルフを廃位し、アルブレヒトに“救済”を託した。 アルブレヒトはゲルハルムの戦いでアドルフを討ち取り、ついに王位に就いたのだった。
(皇帝位の推移)
策士としての統治
アルブレヒトは、父からオーストリア統治を任されていた。
その最大の拠点は、豊かな交易都市ウィーンである。父ルドルフはこの都市に恩を売るべく、帝国都市としての大幅な自治権を与えた。
だが、王となったアルブレヒトは、別の道を選ぶ。
1296年、ウィーンでの騒乱を口実に、都市を帝国直轄から領邦都市へと格下げ。 自治権を奪い、ハプスブルクの支配下に組み込んだ。
甥ヨハンの刃、ロイス川の悲劇
それは、後の650年にわたるウィーン=ハプスブルクの関係を決定づける大転換であった。
アルブレヒトの手腕は各地で発揮され、王権は安定。
政略結婚でも成功をおさめ、多くの子どもたちが外交の駒として帝国に根を張った。 なかでも次女アグネスは、ハンガリー王妃としての経験を活かし、宮廷の実力者となっていく。
ハプスブルク家は、王朝としての基盤を築きつつあった。
「家族」の代償
だが、アルブレヒトの強権政治は、血縁の中にさえ亀裂を生んでいた。
弟ルドルフ2世との共同統治を解消し、単独支配へと移行した際に、弟に領地と財産を与えることが約束された。しかし、そのルドルフ2世は早世。
代償を受け取らぬまま亡くなった弟には、ひとり息子がいた。 名をヨハン。青年ヨハンは、父に代わって約束の履行を求めた。
だが、アルブレヒトは領地の細分化を恐れ、これを拒む。
いとこたちが領地を得ていく中、自分だけが“空の手”であることに、ヨハンの怒りは頂点に達した。彼は、反乱ではなく、「暗殺」を選ぶ。
ロイス川の悲劇
1308年5月1日。スイスのロイス川を渡ろうとしていたアルブレヒトに、悲劇が襲いかかる。待ち伏せしていたヨハンとその郎党たちが、王を取り囲む。
「これは、父の無念と、我が屈辱の報いである。」
そう言ったかは定かでない。だが、王はその場で殺害された。 最初の一太刀は、ヨハン自身の手によるものだったという。
(甥のヨハン、アルブレヒトを暗殺した)
王権の喪失、そして…
ハプスブルク家は打撃を受けた。「肉親殺し」を生んだ王家に、霊威は宿らない。
諸侯たちはすぐさまルクセンブルク家のハインリヒ7世を次の王に選出。
ヨハンは、ハインリヒの庇護のもと逃亡に成功したが、アルブレヒトの妻エリザベトと娘アンナらによる執拗な復讐の追及を受けたという。
その後、ハプスブルク家はアルブレヒトの次男フリードリヒ美王を対立王に立てるも、皇帝位には届かず。 一族はハプスブルク家は、再起の時を静かに待つことになる。
まとめ
アルブレヒト1世は、父ルドルフの路線を受け継ぎ、そして超えようとした王である。その手腕は確かだった。
だが、諸侯との駆け引き、都市の掌握、子どもたちの配置… あらゆる政略が完璧であったがゆえに、 肉親の怒りという盲点に気づけなかった。
この悲劇ののち、ハプスブルク家は帝位から一時遠ざかる。再びその名が帝冠と結びつくのは、息子フリードリヒ美王の時代。
だがその挑戦もまた、帝国を揺るがす新たな試練の始まりとなるのだった。
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参考文献
- Peter Moraw, The Holy Roman Empire 1495–1806, Oxford University Press, 2011.
- Joachim Whaley, Germany and the Holy Roman Empire: Volume I, 1493–1648, Oxford University Press, 2012.
- Franz-Josef Schmale, Rudolf I. und Albrecht I. von Habsburg, Wissenschaftliche Buchgesellschaft, 1987.
- Helmut Maurer, Albrecht I. von Habsburg (1298–1308): Studien zur Reichspolitik, Jan Thorbecke Verlag, 1991.
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