ルドルフ2世 (神聖ローマ皇帝)

神聖ローマ皇帝として即位したルドルフ2世だったが、統治にはほとんど関心を示さず、美術・占星術・錬金術に没頭した。

彼の放漫な治世は帝国の内部対立を激化させ、結果として「三十年戦争」の引き金を引くことになった。

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基本情報

称号 神聖ローマ皇帝
オーストリア大公
ハンガリー王
ボヘミア王
出生 1552年7月18日(ウィーン)
死去 1612年1月20日(プラハ)
享年 59歳
治世 1576年〜1612年(神聖ローマ皇帝)
伴侶 正妻なし
子女 なし (庶子はあり)
父親 マクシミリアン2世
母親 マリア・デ・アウストリア
前任者 マクシミリアン2世
後継者 マティアス

人物の背景

ルドルフ2世は、ハプスブルク家の血を濃く引く皇子としてウィーンに生まれた。幼少期はスペインの厳格なカトリック教育を受け、フェリペ2世の宮廷で育った。

聖ローマ皇帝として即位したが、統治にはほとんど関心を示さず、美術・占星術・錬金術に没頭した。彼の放漫な治世は帝国の内部対立を激化させ、結果として三十年戦争の引き金を引くことになった。

ルドルフ2世の家系図 ハプスブルク顎

彼はハプスブルク家特有の「ハプスブルク顎」を顕著に持ち合わせていた。政略結婚として従姉妹 (フェリペ2世の娘)との婚姻が画策されたが、結局、誰とも結婚することはなかった。

ここで血族結婚を重ねていたら、スペイン・ハプスブルク家の二の舞になっていたかもしれない。

治世で起きた主要な出来事

  • プラハ遷都(1583年)

ウィーンの宮廷を嫌い、プラハへ遷都。ここで錬金術や占星術に没頭し、学者や芸術家を庇護。特にヨハネス・ケプラーを支援し、天文学の発展に寄与した。

  • 宗教対立の激化

カトリックとプロテスタントの対立が帝国各地で深刻化する中、ルドルフ2世は優柔不断で有効な対応を取らなかった。その結果、帝国内の対立は一層激化した。

  • ルドルフ勅許(1609年)

ボヘミアのプロテスタント勢力に信仰の自由を与える勅令を発布。しかし、これは一時的な妥協策に過ぎず、後に宗教対立が決定的なものとなる。

ルドルフ勅許

  • 権力の失墜(1608-1611年)

弟マティアスが軍を動かし、オーストリアとハンガリーを奪取。1611年にはボヘミア王位も剥奪され、ルドルフ2世はプラハ城に幽閉された。

  • 三十年戦争の引き金(1618年)

彼の政策の失敗により、帝国内の宗教戦争が決定的となり、死後6年後に三十年戦争が勃発。彼の統治は、帝国史上最悪の混乱へとつながった。

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