フィリップ美公は、美貌と野心を兼ね備えていた。
スペイン王フアナと結婚し、短期間ながらカスティーリャ王となるも急死。彼の死は、ハプスブルク家のヨーロッパ支配を決定づける歴史の転換点となった。
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基本情報
出生 | 1478年7月22日(ブルゴーニュ) |
死去 | 1506年9月25日(スペイン) |
治世 | 1506年7月12日〜1506年9月25日(カスティーリャ王) |
伴侶 |
フアナ・デ・カスティーリャ(狂女フアナ)
|
子女 | カール5世 |
フェルディナント1世 | |
父親 | マクシミリアン1世 |
母親 | マリー・ド・ブルゴーニュ |
前任者 | イサベル1世 & フェルナンド2世 |
後継者 | フアナ1世(名目上)、カール5世 |
称号 | カスティーリャ国王 |
人物の背景
フェリペ1世 は、ハプスブルク家とブルゴーニュ公国の間に生まれた。
美貌と社交性に恵まれ、若くしてヨーロッパ宮廷の中心人物となる。父マクシミリアン1世は戦争よりも婚姻政策を重視し、カスティーリャ王女フアナとの結婚をフェリペに命じた。
この結婚は、ハプスブルク家にとって決定的な転機となった。
治世で起きた主要な出来事
- 1506年 | カスティーリャ王即位
フェルナンド2世(アラゴン王)は、イサベル1世の死後にカスティーリャ王国の摂政を務めたが、フェリペは自身とフアナの王権を主張し、スペイン貴族の支持を取り付ける。
これにより、1506年に正式にカスティーリャ王として即位する。
- 1506年 | 急死と権力闘争
フェリペ1世は即位後間もなく、病に倒れ、わずか28歳で急死した。
その死因については、発熱によるものとされるが、毒殺説も囁かれている。彼の死後、フアナは精神を病み、王国の実権は再びフェルナンド2世へと戻る。
- 1506年以降 | ハプスブルク帝国の礎
フェリペ1世の遺児カール(後のカール5世)は、のちにスペイン・神聖ローマ帝国を統一し、「日の沈まぬ帝国」を築くことになる。フェリペ1世の短い治世は、後のハプスブルク家の支配を確立する重要な布石となった。
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