諸国民の春|「ウィーン体制」を揺るがした民衆の怒り

1848年。静寂に見えたヨーロッパが、突如として沸騰した。

きっかけはフランスの二月革命だった。王政を打倒した民衆の叫びは瞬く間に国境を越え、ウィーン、ベルリン、ブダペスト、ミラノへ――。

Vienna System Illustrated (ウィーン体制 図解)

それは単なる反乱ではない。三十年にわたり圧し殺されてきた自由と民族の叫びが、遂にウィーン体制を揺るがす“諸国民の春”として噴き出したのである。

民衆の怒りが一斉に火を吹いた

長らく続いた「平和」は、抑圧と引き換えの静寂だった。

言論の自由も、集会の自由も、そして民族の尊厳も、ウィーン体制の下では否定されていた。だが人々は忘れていなかった。

ナポレオンが撒いた「自由」「平等」「国民国家」の理念は、地下水脈のように民衆の胸に流れ続けていた。

その導火線に火をつけたのが、1848年2月のフランス二月革命である。王政打倒の報がヨーロッパ中に広まるや否や、各地で蜂起が始まった。

ウィーン、ベルリン、プラハ、ブダペスト、ミラノ――まるで水面下に張り巡らされた導火線に、次々と火花が飛び散るかのように。

「体制の正体」――線引きされた支配

ウィーン体制の本質は明快である。

「正統主義」と「勢力均衡」の名のもとに、君主の支配を磐石にし、民衆の自由や民族の自決を抑え込む体制だった。

1815年6月、ウィーン議定書が締結され、ヨーロッパの政治地図は塗り替えられた。ロシアはポーランド王を兼ね、プロイセンは東西に新領地を獲得し、オーストリアは北イタリアを掌中に収めた。

ドイツ地域では、オーストリアとプロイセンを両雄とする「ドイツ連邦(三十数カ国)」が誕生。だがそれは自由の結合ではなく、専制の封印であった。

この新秩序の裏にある真の顔――それこそが、民衆の怒りを根底から煮えたぎらせたのである。

ウィーン陥落、メッテルニヒ失脚

Duke Metternich, author of the Congress system, Chancellor of the Austrian Empire from 1821 until the Revolution of 1848. By Lawrence (1815) (メッテルニッヒ)

その中心地となったのが、ウィーンであった。

3月13日、市民と学生が集会の自由を求めて街頭に立った。

騎馬警官との衝突、バリケードの築造、そして王宮への圧力。やがて皇帝フェルディナント1世は屈し、守護者であったはずのメッテルニヒを解任・亡命に追い込む。

「ウィーン体制の象徴」の崩壊は、ヨーロッパ中の支配層を震撼させた。

ナショナリズムの爆発――ハンガリーとイタリア

ハプスブルク帝国の「多民族支配」は、この年に一気に裂け目を見せた。

とりわけ急進的だったのが、ハンガリーである。マジャルー人は独立政府を樹立し、皇帝の命令を無視して軍備を整え始めた。

またロンバルディア=ヴェネツィアでも、イタリア人がオーストリア支配からの解放を掲げて蜂起。ミラノでは一時、オーストリア軍が撤退する事態にまで発展する。

ハプスブルク帝国は、自らの支配下にあるハンガリーや北イタリアで、独立と自由を求める蜂起という“自由の嵐”に直面したのである。

まとめ

1848年の「諸国民の春」は、ウィーン体制という重い蓋を跳ね飛ばす民衆の大噴火だった。それは同時に、自由とナショナリズムが帝国秩序に与える脅威をあらためて浮き彫りにした。

ハプスブルク家は辛うじて帝国の体裁を保ったが、その亀裂は深く、後の1867年「二重帝国」や、1918年の崩壊へと連なっていく。

抑え込まれた声は消えない――次回は、フランツ・ヨーゼフ1世が受け継いだ「不安定な帝国の統治」を描く。

さらに詳しく:
📖 フランツ・ヨーゼフ1世|ハプスブルク最後の栄光、その代償は
📖 二重帝国とは?|オーストリアとハンガリーが並び立った理由
📖 ウィーン会議|秩序を再建した“宰相たちの舞台裏”

参考文献
  • Jonathan Sperber, “Revolutionary Europe, 1780–1850”, Routledge, 2000
  • Mark Mazower, “The Balkans: A Short History”, Modern Library Chronicles, 2000
  • 成瀬治 他『世界歴史大系 オーストリア・ハンガリー史』山川出版社
  • ジャン・トゥラール他『ナポレオンから第三共和政へ』白水社
  • 酒井健『ナポレオンと近代ヨーロッパ』講談社選書メチエ
・Kamen, Henry. Philip IV of Spain: A Life. Yale University Press, 1997.
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.

 

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