ナポレオンは、旧秩序を焼き払った。革命と戦争を携え、王と貴族の時代に終止符を打とうとした男――その足跡はヨーロッパ中にナショナリズムという火種を残した。
だが、ハプスブルクの老練な宰相メッテルニヒは諦めなかった。
旧秩序の防波堤として、欧州を再構築する舞台に立つ。それが1814年から翌年にかけて開催された「ウィーン会議」である。
この記事のポイント
- 1814年、ナポレオン失脚後に「ウィーン会議」を開催
- 宰相メッテルニヒが、正統主義と勢力均衡を掲げ主導する
- 結果として、秩序再建と革命封じ込めを軸にウィーン体制が成立された
ウィーン会議とは
ウィーン会議は、ナポレオン戦争の終結後、ヨーロッパ各国が集まって新たな秩序を模索した国際会議である。主導したのはオーストリア帝国宰相メッテルニヒ。
彼は「正統主義」と「勢力均衡」の理念を掲げ、戦乱で揺れた欧州の安定を目指した。
- 正統主義:ナポレオンに追われた王政を正統な支配として復活させる思想
- 勢力均衡:どこか一国が突出しないよう、大国間の力を釣り合わせる構想
この理念のもと、イギリス・ロシア・プロイセン・オーストリアといった列強が、それぞれの利害を抱えつつ、交渉に臨んだ。
表の顔は華やかな舞踏会。
だが裏では激しい利権の衝突と駆け引きが展開され、「会議は踊る、されど進まず」と揶揄された。しかし、実際には地道に合意形成が進み、最終的な調印は1815年6月であった。
ハプスブルクの外交と再編
この会議において、ハプスブルク帝国は巧みな交渉力を発揮した。ナポレオン戦争で一時は大幅に領土を失ったものの、ウィーン会議ではそれを逆転。
オーストリアとして南ドイツ、チェコ、ハンガリー、スロヴェニア、クロアチア、ダルマチア沿岸などを再編し、オーストリア帝国としての枠組みを強化した。
さらに、ロンバルディア=ヴェネツィアをはじめとするイタリア北部への影響力も維持したほか、ドイツ諸邦を束ねる「ドイツ連邦」の盟主にも就任。
帝国内だけでなく、ドイツ全体に対しても指導的地位を確保した。こうした再編の実態を一目で示すのが、ウィーン会議後のヨーロッパ地図である。
(ウィーン会議後の地図)
この地図からは、戦争と会議の末に再構築されたオーストリアの支配領域が一目瞭然である。
「秩序」の裏にあった恐れ
ウィーン会議の核心は、領土の配分ではなかった。宰相メッテルニヒが真に恐れたのは、ナポレオンが撒いた“革命の理念”――自由・平等・民族自決――である。
この理念が各地でナショナリズムへと転じ、王侯貴族による伝統的支配を脅かしていた。多民族国家であるハプスブルク帝国にとって、民族が「自らの国」を望むことは、すなわち帝国の瓦解に直結する。
だからこそメッテルニヒは、革命の余韻を封じ込めるべく、ウィーン体制という秩序を築こうとしたのである。
- 革命の拡散を防ぐため、言論や出版の自由は制限
- 自由主義・民族主義は警戒の対象となった
「平和」とは、力で押さえ込んだ静寂に過ぎなかった。
まとめ
ウィーン会議は、旧体制の理想と現実のせめぎ合いの中で成立した。ハプスブルク家は失ったものを取り戻し、帝国としての体制を再建した。
だがその成果は、一時の安定と引き換えに、ナショナリズムという不安定な火種を欧州全土に残すこととなった。
その火種は、1848年に「諸国民の春」となって燃え上がり、会議が築いた秩序と、メッテルニヒ体制の限界を炙り出す――
さらに詳しく:
📖 諸国民の春|ウィーン体制を揺るがした民衆の怒り
📖 皇帝ナポレオンとの対立|戴冠の皇帝と神聖ローマ帝国の終焉
📖 オーストリア帝国の成立|神聖ローマ帝国の終焉とフランツ2世の新しい玉座
参考文献
- ハプスブルク家 江村洋 (講談社 現代新書)
- 成瀬治 他『世界歴史大系 オーストリア・ハンガリー史』山川出版社
- 酒井健『ナポレオンと近代ヨーロッパ』講談社選書メチエ
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
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