【ハプスブルク顎に隠された歴史】王家の血統を守った代償と悲劇

フェリペ4世 ハプスブルク顎 ハプスブルク家の歴史

「ハプスブルク顎」として知られるこの特異な顔貌は、単なる家系の特徴ではなく、王家の存続を賭けた「血統管理」の結果だった。

ハプスブルク家は13世紀から20世紀にかけてヨーロッパの広大な領土を支配し、数多くの王や皇帝を輩出した。しかし、その権力を維持するために取った手段のひとつが、スペイン・ハプスブルク家にみられた極端な近親婚だったのである。

ハプスブルク家と「青い血」の呪縛

王族や貴族の血統を表す言葉として知られる「高貴な青い血」。

高貴な青い血 マルガリータ・テレサ (マルガリータ・テレサ デル・マーソ画)

青い血という表現は、貴族や王族の肌が一般の人々よりも白く、皮膚を透けて流れる静脈が青く見えたことに由来するとされる。労働に従事する庶民の肌は日焼けで黒くなる一方、宮廷で育った王族たちは陽の光を避け、透き通るような肌を維持していた。

そのため、「青い血」は貴族の証として語られるようになったのである。

純潔の維持と婚姻の制約

しかし、スペイン・ハプスブルク家は当時のヨーロッパにおいて最大級の大国であり、格下の小国や貧しい国との婚姻はありえなかった。また、カトリックを重んじる王家であったため、プロテスタント国家の王女を迎えることも選択肢にはなかった。

こうした制約の中で、王家は血統を維持しつつ領土を分割しないために、一族内での婚姻を選択した。これにより、叔父と姪、いとこ同士といった極端な近親婚が繰り返されることになったのである。

スペインハプスブルク家、始まりから終わりまでの家系図 (家系図で見る、スペインハプスブルク家の成り立ちと終焉)

こうして「高貴な青い血」は、王家の象徴であると同時に、ハプスブルク家を苦しめる宿命となっていったのである。

ハプスブルク顎とは何か?

ハプスブルク顎」とは、医学的には下顎前突症のことで、下顎が前に突き出し、上の歯と下の歯が正常にかみ合わない状態を指す。

こちらの肖像画の前列、真ん中に描かれているのが若き日のカルロス1世だ。

「マクシミリアンと家族」前列左からフェルディナント1世、カール5世、ラヨシュ2世 (「マクシミリアンと家族」 前列左からフェルディナント1世、カール5世、ラヨシュ2世)

同時代の証言によれば、カルロス1世は重度の受け口で、歯の噛み合わせが悪く、常に口を開けていたと伝えられている。肖像画ではその特徴が控えめに描かれているが、実際には下唇がより垂れ下がり、顎の突出が一層目立っていた可能性が高い。

この特徴はハプスブルク家の肖像画や、医学的記録によって明らかになっており、この優性遺伝は、一族内での繰り返される血族婚によって子孫へと強く引き継がれた

特にスペイン・ハプスブルク家ではその影響が顕著になり、代を重ねるごとに顎の突出はさらに強調され、より極端な形へと変化していった。

ハプスブルク家の婚姻関係と近親度

スペイン・ハプスブルク家では、叔父と姪、いとこ同士の結婚が繰り返され、次第に遺伝的多様性が失われた。以下は、代表的な近親婚の例である。

  • フェリペ2世:姪のアナと結婚
  • フェリペ3世:いとこであるマルガレーテと結婚
  • フェリペ4世:再婚相手が姪のマリアナ
  • カルロス2世:両親が叔父と姪の関係にあり、近親婚係数は 0.254(いとこ婚の4倍以上) と異常に高かった

(引用元:家系図で見る、スペインハプスブルク家の成り立ちと終焉)

このような婚姻が何世代も続いた結果、ハプスブルク家の血統は極度に固定化し、「ハプスブルク顎」だけでなく、生殖能力の低下、知的障害、免疫機能の低下など、多くの健康問題が現れた。

なぜハプスブルク家は近親婚をやめなかったのか?

近親婚がもたらす問題は、当時の人々もある程度は認識していた。しかし、ハプスブルク家は次のような理由でこの習慣を続けた。

  1. 領土の分割を防ぐため
    外部の血を取り入れると、結婚相手の家系が領地を相続する可能性があった。これを避けるために、一族内で結婚を繰り返した
  2. 「高貴な血統」の維持
    王族は「選ばれし者」と考えられ、外部の血を取り入れることは王の威厳を損なうとみなされた
  3. 政略結婚の必要性
    プロテスタントの王家と血縁を結ぶことを避けていたため、婚姻の選択肢が限られていた

しかし、この選択は結果的に王朝の終焉を招いた。

ハプスブルク家の遺伝的研究

これは研究でもあきらかになっている。

特に、Alvarez(2009) の研究では、ハプスブルク家の系譜を用いて近親婚係数を算出し、「ハプスブルク顎」の発現率との関係を調査した。

  • 研究結果では、近親婚係数が高いほど下顎前突症の発症率が高くなる傾向が確認された
  • 近親婚が5代以上続いたスペイン・ハプスブルク家では、顎の異常だけでなく、健康問題も深刻化していた

この研究は、王家の近親婚が遺伝的多様性の喪失を引き起こし、最終的に王朝の崩壊に影響を与えたことを示唆している。

代表的なハプスブルク家の肖像と顎の特徴

カルロス1世(1500-1558年)

hapsburg jaw カルロス1世とハプスブルク顎、ヤーコプ・ザイゼネッガー画 (ヤーコプ・ザイゼネッガー画)

カルロス1世 (神聖ローマ皇帝としてはカール5世) は、顎の特徴が顕著な最初の王とされる。肖像画を見ても、下顎が前に突き出している様子が明確に確認できる。

彼の時点では、まだ遺伝的な影響は限定的だったが、彼の子孫たちが近親婚を繰り返したことで、次第に特徴が強まっていった。

フェリペ4世(1605-1665年)

ディエゴ・ベラスケス『茶と銀の装いのフェリペ4世』、ハプスブルク顎 (ディエゴ・ベラスケス画「茶と銀の装いのフェリペ4世」)

フェリペ4世の肖像画では、顎の突出だけでなく、厚い下唇や長い顔立ちが見られる。これは、先祖代々受け継がれてきた特徴がいっそう顕著になりつつある兆候であった。

カルロス2世(1661-1700年)

カルロス2世の肖像画、ハプスブルク顎(カルロス2世の肖像画)

スペイン・ハプスブルク家最後の王であるカルロス2世の肖像画を見ると、彼の「ハプスブルク顎」は極端に発達している。

さらに、顎だけでなく、身体の発達も遅れ、知的障害や生殖能力の欠如といった深刻な健康問題を抱えていた。彼は「呪われた王」と呼ばれることもあり、彼の死によってスペイン・ハプスブルク家は完全に断絶した。

まとめ

ハプスブルク家は、政略結婚を駆使して広大な領土を支配し、ヨーロッパ史上屈指の王家として君臨した。しかし、その血統を守るために繰り返された近親婚は、スペイン・ハプスブルク家において特に深刻な影響を及ぼした。

代を重ねるごとに、顎の突出(ハプスブルク顎)をはじめとする遺伝的特徴が強まり、次第に健康問題や生殖能力の低下、知的障害といった深刻な症状が現れた。

「高貴な血統を守る」ことを最優先にした結果、王家自体の存続が危うくなったハプスブルク家の歴史は、血統管理の難しさとリスクを浮き彫りにしている。

参考文献

  • Alvarez, G., et al. (2009). “The Role of Inbreeding in the Extinction of a European Royal Dynasty.”
  • Archivo General de Simancas(スペイン王室公文書館)
  • 名画で読み解くハプスブルク家12の物語 中野京子

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