それは、沈黙の教会に響く一発の銃声から始まった。信仰の名のもとに燃え上がった反乱は、やがて帝国を呑みこむ大火と化した。
スペインが「日の沈まぬ帝国」として頂点にあった時代、ネーデルラントの小さな州が立ち上がったのである。
(八十年戦争の図解)
その戦いは一瞬の激情ではなく、世代を越えた執念だった。
八十年――王が代わり、将軍が死に、信仰と商業と血が入り乱れるなか、かつての属州がひとつの国家へと変貌していった。
この記事のポイント
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1568年、オラニエ公ウィレムが反乱を指導、独立戦争が勃発
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1581年には、ネーデルラント連邦がスペイン王の支配を正式に否認
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ウェストファリア条約により1648年、「オランダの独立」が国際的に承認
帝国の支配と信仰の軋み
16世紀、ネーデルラント地方(現在のベルギーとオランダ)は、スペイン・ハプスブルク家の支配下にあった。
しかしこの豊かな商業地帯には、ローマ・カトリックの厳格な統制はそぐわなかった。とくにプロテスタント(新教)の信者に対する弾圧は苛烈を極める。
異端審問、火あぶり、粛清――
「信仰の名のもとの暴力」は、次第に庶民の怒りと恐怖を煮えたぎらせていった。そこに現れたのが、オラニエ公ウィレムである。
(オランダ総督 オラニエ公 ウィレム)
かつてはカトリックの信徒であった彼が、反乱の旗を掲げたとき、それは単なる地方反乱ではなかった。それは、「信仰と自由」の名のもとに帝国に挑む、一大解放戦争の幕開けだった。
地獄の始まり、そして運命の分断
1568年、アルメリアの戦いを皮切りに、スペインの制圧とネーデルラントの反撃が繰り返される。スペイン側はアルバ公を派遣し、恐怖による統治を進めるが、それがさらなる憎悪を生む結果となった。
街は焼かれ、民は処刑され、自由の旗は何度も引き裂かれた。
しかし、そのたびに民衆は立ち上がった。血が流されるたびに、「国家」という幻が少しずつ輪郭を得ていったのである。
1581年、ついにネーデルラント連邦は「スペイン王フィリペ2世の主権を否認する」宣言を発表。この瞬間、ヨーロッパにおいて初めて「王なき国家」が名乗りを上げた。
長き戦いの果てに
しかし、独立は宣言したからといって成るものではない。その後もスペインとの戦争は泥沼化し、膠着状態が続いた。
国内では南部がカトリックを支持し、やがてスペイン領ベルギー(南ネーデルラント)として分離。
一方、北部はオランダ共和国として結束を強め、英仏の援助も得ながら独立を保っていった。
そしてついに1648年。三十年戦争の終結とともに結ばれた「ウェストファリア条約」により、オランダの独立が国際的に承認される。
その瞬間、ヨーロッパに新たな秩序が誕生した。
戦争が生んだもの|民族の夜明け、帝国の終焉
八十年戦争は単なる地域紛争ではなかった。
それは、絶対王政・宗教統一・世襲支配という“帝国の常識”に対する、近代国家の最初の反抗だったのである。オランダはその後、商業・金融・芸術において黄金時代を迎え、やがて海洋帝国として世界に進出する。
対するスペインは、無敵艦隊の敗北に続き、この長い戦争でも膨大な財力と人命を失い、「衰退の時代」へと沈み込んでゆく。
王ではなく民が、血によって国をつくる。その第一歩が、この八十年戦争だったのである。
まとめ
八十年戦争(1568〜1648年)は、スペイン・ハプスブルク家の支配に対抗してネーデルラントが独立を目指した戦争である。
信仰の自由と自治を求めたこの戦いは、やがて「オランダ共和国」の誕生へとつながった。
1648年のウェストファリア条約により、オランダ独立が国際的に認められたことで、ヨーロッパの国家秩序は大きく変貌した。
参考文献
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岩崎周一『ハプスブルク帝国』(講談社現代新書)
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Jonathan Israel, The Dutch Republic: Its Rise, Greatness, and Fall 1477–1806
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Geoffrey Parker, The Dutch Revolt
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Pieter Geyl, The Revolt of the Netherlands
・Elliott, J. H. The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. Yale University Press, 1986.
・Parker, Geoffrey. The Grand Strategy of Philip IV: The Failure of Spain, 1621-1665. Yale University Press, 2000.
・Brown, Jonathan & Elliott, John H. A Palace for a King: The Buen Retiro and the Court of Philip IV. Yale University Press, 2003.
・Stradling, R. A. Philip IV and the Government of Spain, 1621-1665. Cambridge University Press, 1988.
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