フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)

フリードリヒ3世は、神聖ローマ皇帝としてハプスブルク家の長期支配の礎を築いた人物である。沈黙と忍耐を武器に、動乱の時代を生き抜き、皇帝権の復権を目指した。

基本情報

主な称号 神聖ローマ皇帝
ドイツ王
オーストリア大公
シュタイアーマルク公
出生 1415年9月21日(インスブルック)
死去 1493年8月19日(リンツ)
享年 77
治世 1452年〜1493年(神聖ローマ皇帝)
1440年〜1493年(ドイツ王)
1439年〜1493年(オーストリア大公)
伴侶 エレオノーレ・デ・アラゴン
子女 クリストフ
マクシミリアン1世 (後継者)
ヘレン
クニグンデ
ヨハネス
父親 エルンスト大公(オーストリア)
母親
ツィムブルギス・フォン・マゾーヴィエン
前任者 アルブレヒト2世(神聖ローマ皇帝)
後継者 マクシミリアン1世

人物の背景

フリードリヒ3世は、ハプスブルク家のエルンスト系オーストリア大公の長男として生まれた。若くして家督を継ぎ、神聖ローマ皇帝位に上り詰めるが、その道は平坦ではなかった。

フリードリヒ3世の家系図 (祖父の代より)、ジギスムントとの相関図 (祖父の代からの家系図)

1452年、教皇ニコラウス5世より戴冠を受けた最後の神聖ローマ皇帝であり、戴冠以降は一度もローマを訪れることなく帰国。彼の治世は、沈黙と保守主義、そして粘り強い交渉と結婚政策によって特徴づけられる。

最初は周囲から「無能」と評されることも多かったが、着実に権力を固め、敵対する諸侯を抑え込みながら、皇帝権の回復を進めていった。オーストリアの領土拡大にも成功し、やがて息子マクシミリアン1世へとその成果を引き継いだ。

治世で起きた主要な出来事

  • 1452年、ローマでの戴冠式
    教皇ニコラウス5世より神聖ローマ皇帝としての戴冠を受けた最後の皇帝となった。

  • ハプスブルク家の婚姻政策の礎を築く
    自らの息子マクシミリアンとブルゴーニュのマリーの結婚を取り決め、後のハプスブルク家拡大の布石を打つ。

  • オーストリア領の安定化
    内乱と対外戦争の狭間でオーストリアを一体化し、ハプスブルクの中核領として整備した。

フリードリヒ3世の治世は、華々しさとは無縁だったが、沈黙と忍耐の中にあったその粘り強い手腕が、次世代の繁栄を支える礎となった。

コメント